上等や!受けて立っちゃる!の心意気/カーネーション(51)







面白さの不可抗力なのか、気づけば感想立て続けに書いてしまっている。他にも色々と観てはいるのに。
おそろしやカーネーション


初っ端から目に飛び込んでくる、和菓子屋の入口脇に貼られた国債購入を奨励するポスター(しかも行軍する戦車部隊のイラストつき!)が、直後の流れで明らかとなる変事の前フリだったか。
食い物の恨みもまたオソロシイ。
そのうえ食い意地の張った甘党ときては推して知るべしである。

どや顔すんな戦争ムカつく。たかが饅頭を国民から取り上げる国ショボすぎやろ。←すまんつい脚色入った
ぽんぽん小気味良く飛び出す怒涛の”お上”批判を、縫い子さん達を前に遠慮なくぶちまける糸子。
「食」の恨みは「衣」で晴らすとばかり、布地の価格や品質に口うるさく制限を強いてくる「ぜいたく禁止令」とやらに、「上等や!」と武者震いで受けて立ち、果敢に抜け道を探して斬り込んでいく。

洋裁のことで窮地に陥った時の糸子が、ことさら楽しげに見えるのはさておき(ワクワクと血が騒いでしょうがないご様子)、(昨日の貞子も含め)糸子の歯に衣着せぬ国家への批判を、彼女の言に則って要約するなら「あほらし!」の一言に尽きよう。
戦争してくれと誰が頼んだ、みたく吐き捨てるのも、ようするに呆れているのだ、民草虐めてまで国がムキになって入れ込むほどの価値あるんかと。

息巻く糸子と対比されるのが、二階の勝含めた紳士服チームの男性陣。
戦局を報じる新聞を熱心に回し読みする彼らの様子を通じて、戦争なんていくら大層に祭り上げようとも、しょせんは男の子の陣取り合戦ごっこの延長でしかないことを、わずかワンショットで雄弁に見せつけてしまう。
映像によって白日の下に晒される、あまり見たくない真実というところか。三度目のオソロシや。

ちなみに昨夜の『坂の上の雲』の再放映にしろ、本音のところはロシア人令嬢との叶わぬ悲恋パートを端折ってでも、早く旅順封鎖を見せてくれ、だった。
映像はフィクションでも史実の再現でもあるのだと、頭で理解しても、やはり上述の勝たち同様、ワクワクと見入ってしまうのだろう。


縫い子の昌子さんに、商売のやり方が甘い、商品の利益率が低すぎ、などと説教される糸子。
一体どちらが経営者なのやら。
二人の間でふんふん調子よく聞いてるだけの勝も、さほど商売ッ気があるようにも見えず。
善作といい、商売下手の性質は小原家につきもののようだ。
返事に窮した糸子が咄嗟に飛びついた屁理屈、「お国の非常時なんだから(今まで通りでいい)」に如実に表れているのが、国がなんぼのもんじゃといわんばかりの関心の薄さと価値の軽さ。
問答無用で干渉してこられると激しく反発するが、それ以外はまるで眼中になし。
こき下ろしたり持ち上げたり、同じ「お国の非常時」との認識に対し、苦もなく180度違う態度に変われるのは、そもそも存在価値を大して認めてないからで、どうでもいいと思っているから扱いも同じくどうでも良くなる、それだけ軽く見ている、ということだ。

反戦の意思はなによりも、物語を紡ぐ脚本家の懐の奥深くに息づいていて、当時の人の心情に寄り添う自然な形で、ちらちらと見え隠れするよう注意深く構成されている。
その絶妙な塩梅に今週は感心させられてばかりいる。
糸子が「上等や!受けて立っちゃる!」と雄々しく叫んでキッと睨み返す、その先にあるのは、国家が戦争の大義名分のもとに振るう権力という名の暴力、その一点のみだ。
彼女には、まるで実体の掴めない国家なる薄気味悪いシロモノが、これまでの生活を戦争によって問答無用でぶち壊そうとするのが我慢ならない。
何故ならそれは彼女にとって何より大事な、守られるべき優先順位の最高ランクのものだから。

色味としては地味なのに細い金糸が一本入っているだけで、半ば自動的に贅沢品と判断され、販売禁止と言い渡された反物を、何とか売り物にするべく糸子が奮闘するのは、彼女らしい見捨てておけない人助けの心意気に加え、忘れちゃならないもう一つ、戦争を理由に、どんな理不尽も有無をいわさず強制してくるような暴力を、すんなり認めてなるものかという心意気からだろう。
ここでも「上等や!受けて立っちゃる!」の精神が、遺憾なく発揮されている。
そしてそういう時の糸子は、格別に生き生きして見えるのだ。

今後も登場人物が戦争という未曾有の事態にどう関わり、どのような影響を受けたかを、唯一未来を見通せる脚本家がじっくり小出しにしつつ、綿密に描いていくのを見守っていきたい。
勘ちゃんは大丈夫か。葉書の文面の当たり障りのなさが、逆に取り付く島がなくて、気にかかる。


ところで猛獣などと、嬉しくない形容をされてしまった直子ちゃん役の子は、なんだか二人いたような気がするんだが。どうかなァ。
泣いてばかりの子と、大人しい静かな子(顔がほとんど見えなかった時の)と。
子どもに演技つけるのが大変なのも含めて、凝り方も半端なけりゃ、仕上がりも半端ないなあと思ったことだ。