特撮hero関連ツイまとめ(2013/9/11-10/7)

※思考の流れの整理と確認を兼ねて。ところどころ補足つき。
響鬼、ウィザード、キョウリュウジャー、ジャンパーソン、仮面ライダー、仮面ティーチャー、ライブマン、鎧武、SA、他。


9/11

筋立ての面白さを気前よく捨てた代わり、場に醸成される温かい雰囲気を大事にした岡田恵和脚本の #スターマン 。
昨日CSでやってた『響鬼』は後半だったが、脚本が全てをコントロールせず俳優の演技や演出の工夫次第で
出来が左右されるくらいの余白を用意する手法は、響鬼前半のまったり進行→
posted at 10:59:11

(一般男子高校生の視点で彼の領域たる日常と「鬼」による魔化魍退治の非日常を淡々と描写)にも通じる気がした。
posted at 11:00:16

井上俊樹脚本の引き継いだ響鬼後半は予め構成が固まってて目立った「穴」がないので映像面での意外性に乏しい、それだけ脚本が
しっかりしてる意味でもあるんだが、響鬼に関しては脚本の支配の強さは(方程式みたく理路正しく構成された展開は)
既視感伴う予定調和に繋がるのだな、前半の明確に→
posted at 11:01:45

説明のつかない、これという掴みどころのない魅力が、後半の功労賞ものの秀作(トシキの綿密な設計とこれしかないでしょな
理路正しきネタ投入は脚本としては「正攻法」だと思うし)と徹底的にソリが合わなかっただけ、明日夢を脇に退かせて群像劇
(といっても自分好みの慚鬼ー轟鬼の師弟ラインを→
posted at 11:03:16

→前面に出してたが)に仕立てた段階で作品に息づいてた当初の味わいは完全払拭され別物になった、従来の踏襲になった、つまり
脚本が作品を完全コントロールし台詞中心でどんどん展開していく類のやつに。
posted at 11:04:06

9/17

自ら望む望まないにかかわらず人並み以上の力を持つに至った者が、持たないせいで自力で窮地を脱せない他者を助ける
(力を貸す)と決意するまでの、保身と恐怖を振り切って立ち上がる勇気の描写が白眉だったウィザード最終回。
posted at 15:09:18

他者の犠牲の上に自らのエゴを成就させるのは間違いだと、笛木とソラと、念押すように二度のケースではっきり否定してみせた
ウィザードの真っ当さに、改めて打たれた。
最後の最後できっちり落とし前つけてきたねえ、やるもんだねえ(自分の中できだ脚本の株が一気に上昇)。
posted at 15:13:38

「過去に戻ろうとするお前とは違う!俺はすべてを受け入れて前に進む、コヨミの心を救うまで!」グレムリン=ソラに対し
言い放ったこれが晴人の本心であり希望。
ドラゴンは晴人が誰かのためでなく自分のために力を使うのは初めてだと評したが、
その自分のためが誰かのためでもある、ということ。
posted at 15:18:04

一方的な献身でもエゴでもなく。きだ脚本がヒーローの(ひいては個々人が社会を回しそれぞれのポジションで支える上での)
理想的あり方をきちんと描いてくれて胸熱。SHT枠の要請的見地からも申し分ない王道の着地点だったと思う。
posted at 15:18:47

9/20

実は坂本回のキョウリュウあまり好みじゃないらしいのをじわじわ自覚しまして。素面重視以外にも演出面に強く惹き込まれる
ポイントなくて毎度やってること同じだからテンション上がらずといいますか。画面から常にロボ愛ダダ漏れな竹本回とかなら
許せるのは特撮オタク魂への情状酌量が働くからか。
posted at 09:27:20

エンドルフの体を乗っ取ったドゴルドの「怒りと恨みは似たような感情」なる台詞の大雑把な分類どうなのよと
最初は気になったが、しかし考えてみれば喜怒哀楽の各キャラを悪側に設定した時点で、感情自体に善し悪しがあるのでなく、
その感情がどこから生じどこへ向かうかが重要だと持っていきたいなら→
posted at 09:28:46

まあアリなのかなと。ドゴルドの怒りキャラは言語化以前の苛々を周囲に当たり散らすタイプだから、子供にすれば
友だちの玩具を奪ったりカッとして叩いたりのレベルで理解しやすいのもあろうし。
本当は怒りも我欲のワガママから 社会悪の糾弾まであらゆる段階がありピンキリなんだが
posted at 09:29:54

→(残りの喜哀楽も同様で、たとえば何に対して「喜ぶ」のか、自分の幸福か他人の幸福かそれとも他人の不幸か、レベルは色々、
ゆえに感情自体に良し悪し判定は出来ない、となる) 子供(主に幼児)相手なので怒り=ワガママはいけません、で押し通す
単純明快さの方が番組的に相応と判断した、→
posted at 09:30:58

言葉の規定を複雑にしては子どもの理解が追いつかない配慮から、なら分からぬでもないと一応納得。
posted at 09:31:41

ジャンパーソン23話。むにむに蠢く蚕を手のひらに乗っけて平常心見せつける麗子様の女優魂。(以下続く)
posted at 14:35:02

「また犯罪を犯すに決まってる、同じネオギルドに作られた俺だから分かる」とガンギブ。なら自分を始末するのが
一番手っ取り早いはずだが、自分をも信じられずいつ暴走するか怖いくせになぜ自分だけ例外扱いなのか、その甘ったれ根性の
誤魔化し誰か指摘してやれと突っ込みつつ後半。
posted at 14:38:40

ネオギルド製ロボといえどわざわざ罪を償い更生した奴らばかり狙うのはお手軽な標的だから以外の理由があるとも思えず。
ガンギブのご都合論理の情けなさ悲しさが浮き彫りに。
ガンギブの自己中全開俺さま厨二病からの再出発は頼もしい相棒ジャンパーソンとともに幕を開けるのだった。
posted at 14:46:19

JPの放った「俺ごと(取り付いた麗々虫を)撃て!」でようやくおのれの恥ずかしいダサさに気づいたガンギブであったが、
遅いよー、でもJPの真似して「肉を斬らせて骨を断つ」戦法で名誉回復にこぎ着けたのは
ヒーローの看板背負ってる以上最低でも堅持すべきラインをクリアしたのでそこは拍手。
posted at 14:49:56

ジャンパー24話。人間モドキ=人工生命体、はモンスターだから骨の一欠片、血の一滴まで抹殺するべきと。
イカレポンチ三枝女史の困った厨二病体質。
posted at 14:53:43

人間であるなし以前に心を持つ存在なら最大限に尊重しなくては、との発想はないんだ。誰も追いつけないガチガチの未熟さ露呈。
まあ生命尊重の観点から捕食も最小限必要に留める、が基本ではありましょうが、
ざっくり展開で重いテーマ扱う罪深さも孕んでるよなあ。
posted at 14:59:32 

NGの更生ロボに寛大だったように組織の奴隷から開放し再出発を支援してやればいい、相手は「心がある」んだから
対話して様子見ればいい、決め手は心じゃないのか、心のあるなし。それが改心の余地の目安。
命令通り動く単純ロボット扱いではその心が浮かばれんだろうと思う。
posted at 15:05:22

生命の尊さの強調。生まれてきたことの哀しみ、生きていくことの哀しみ。扇澤延男脚本の本領発揮。
posted at 15:10:28

9/23

キョウリュウジャー。加藤回はズームに次ぐズームの懐かし昭和テイストが特徴。
posted at 16:38:16

ラッキューたんとゲスト怪人「混ざっちゃった」ザイホなんちゃらの関係性が、好奇心旺盛な悪戯大好き気まぐれお坊ちゃまと
その忠実なる下僕の爺やみたいで大変よろしゅう御座いました。
中でもザイホやんの「ですじゃー」の口癖がユーモラスな味わい添えててマル。
posted at 16:39:28

「助ける人を好き嫌いで選ぶほど俺は子供じゃない」たいていの子供は子供扱いされるのが嫌いだから
このソウジの台詞は効き目大。
憧れのヒーローの行動に正々堂々戦わない「卑怯」と私情に左右される「えこひいき」 はご法度であると
ただ一つの台詞で このたった一撃で 子供の心にズバッと叩きこむ見事。
posted at 16:42:13

フレーム横長に使って直線上に動き捉えてワンカットに収めたピンク&グリーンの流れるような連携攻撃の美しさ。
(ほぼアニメなド派手CG重ねに重ねて人間の肉体の動的美を台無しにしないこういうショットが一つでも多く見たいんだよっていう)
posted at 16:44:16

レッド名乗りの「カーニバルーゥ!」で背後にうようよレッドのコピーの奴らが盛り上がってんのが地味にツボ
(加藤監督のこの手のセンス嫌いじゃないっす)。
posted at 16:47:01

完成!爆裂キョウリュウジン!と叫び一回右に体を捻る動作したあと体を真っすぐ起こし前に右手を突き出すポーズ、の時の
捻りがメンバー中突出して丁寧なゴールド。一つ一つの動作が全部丁寧できちっとしてる、そこに惹かれる。
(美脚際立つ決めポーズを一時停止で恍惚と眺める←既に毎度の儀式化w)
posted at 16:49:16

お金持ち親の七光り以外何も持たないゲストの俺が俺がの自己中我儘坊っちゃんに最後に言わせた
「俺は世界の中心に立つ男だ、助けられた礼くらいするさ!」の三条脚本のお子様キラーなお見事テクにうふふとなる。
分かってますねえ。子供にとって「格好いいは正義」なのだから描きよう次第、→
posted at 16:51:47

→脚本家の影響力は甚大、だから怖い、本当に怖い、書きたいから書いた、じゃ済まされないのが
どんな色にも容易く染まる子供の柔軟な脳ミソ相手にするSHT枠の恐ろしさだと思う。
posted at 16:52:36

ウィザード。SAに関しての推測はフォーゼは永徳SAっぽくファイズは今井SAっぽくクウガはやはり富永SAだろう程度
(我が藤たんは怪人枠かも、もし緑色な身体したベージュの腰布野郎だったらどうしよう
←ちらと映った駆け出し方とヤラれ方だけ見ての心許なさ)。
posted at 16:55:30

9/27

ジャンパーソン25話は新堀ガンマン兄ことジャンゴを倒したJPへの復讐誓う青年ルーゴが、いくら攻撃しても人間である彼の命を
救おうと身を捨てて奮闘するJPの姿に打たれ、 最後はかつての恩人をJP同様身を挺して守るという心の振り幅の劇的変化が
見どころでしたが、→
posted at 17:41:15

2)早撃ちマシンに改造されたルーゴとの撃ち合いで劣勢を強いられプライド傷つき歯がゆいガンギブが、体内の認識装置外して
タイムを縮めようとするもJPが頑として許さず、のやり取りを、てっきりヒトかロボかの認識を一々やる必要なし(なのに
標準仕様では回りくどく使いづらい)→
posted at 17:45:14

3)と判断したガンギブの合理主義を、融通の効かない石頭のJPが足引っ張ってるのかと思いきや、全然違ったらしく。
やはり一回毎に認識はリセットされるらしく。なんと面倒な。苛々ガンギブに同情禁じえず。かおる改善努力ヨロ。
posted at 17:46:52

9/29

仮面ライダーの「人類の自由のため」は良くも悪くも70年代を象徴する惹句だから2013年の今「自由とは具体的に何か」を
再定義することなしに安易に借用しても無意味な言葉遊びの域を出ず先人にも失礼だろうと思うのだが
祭りなら無礼講もまかり通るとそういうことなのかな。脱力。
posted at 13:26:55

1)義とは何か(参考→ http://www.7key.jp/data/bushido/g.html…)。「打算や損得から離れた」フェアプレイ精神、
道理に適った行い、物事の筋道を通すこと、が本来の正義の定義であり特定の私利私欲を優先することではないはずなんだが、
根深い言葉への偏見の凄まじさに辟易すると同時に、
posted at 13:29:00

2)西欧由来の人間至上(中心)主義の驕りを象徴する環境汚染等が問題視され始めた70年代に登場した惹句
「人間の自由のため戦う」という、今では無神経かつ朴訥にすら響くフレーズを使いまわす目的が身内ウケ以外あるとも思えず、
劣化ネタでお手軽に熱狂できる実態こそ用心すべき兆候だろうと
posted at 13:30:14  

3)危機感通り越し再三耳にしてきたオワコンの意味を今ほど強く実感したこともなく。無理矢理な延命に次ぐ延命がもたらした
時代錯誤なホラーの「感動的だが無意味」な(目を引く派手なお飾りだけで実質何も言ってないに等しい)がらんどうの悲しさ。
posted at 13:31:03

人間が上とか絶対とか傲慢な考えじゃなしに生きとし生けるもの全ての命を平等に扱う心と行いに義は宿ると思う私は、
本物の硬派とはカーレン書いた浦沢義雄脚本の、地球人も宇宙人も更には生物から無機物まで「心あらば」分け隔てなく
フラット化するブレなさ加減だとの思いを一層強くしたことです。
posted at 13:33:34  

仮面ライダーを良し悪しにかかわらずご主人様の願いを叶えるアラジンのランプの精みたく見做されるのは非常に納得いかない、
せっかくきだ脚本でカタルシス得たのに蛇足感半端ない、脚本家の使いどころ間違えてるだろ、
會川は新規オリジナルで勝負させてやってくれ便利要員に使わないでくれと切に願う。
posted at 17:55:17

9/30

ウィザード特別編(最終エピとは認めたくないせめてもの抵抗)。繰り返すがまず冷戦構造ありきだった70年代当時と現代では
時代状況が異なるので その40年前の「人間の自由のため戦う」をそのまま借用しても 現代の権利と我儘を履き違えた
クレーム社会では火に油を注ぐだけ。他人を蹴散らしてまで→
posted at 09:46:58

2)おのれの「自由」を叫ぶ傍若無人な生き方を称揚するどんな意義があるのか、私には逆効果に思える、
「感動的だが無意味」以上に忌むべきプロパガンダに思える、子ども出汁にして特オタ向けに媚びた作りなのも胸焼けする理由。
繰り返し正義なる言葉への偏見を植え付けるその偏見をこそ見つめるべき。
posted at 10:00:30

昭和ライダーの直系なら先日終了の『仮面ティーチャー』推し。華やかなジャニ系男子揃いのビジュアル裏切る、今時珍しい
正統派の体育会系熱血ドラマは昭和オマージュに満ち満ちており、最終話での一号二号同時のライダーキックで決める
サービスぶりには感動すらしたんだったが、もっと凄いのは→
posted at 15:24:59

2)筋の根幹に暴力否定が入ってること。力には力でなくあくまで心で向き合おうとする新任教師(彼は学校秩序を保つため
暴力による鎮圧を政府から公式に許された仮面ティーチャー、だがかつてその「変身中」に目前で助けを求めた教え子を
救えなかった悔恨から暴力を封印)の設定は、70年代ヒーローを
posted at 15:26:46

3)真面目に現代の価値観で再定義したら、こうなる以外なかろうという誠実さを感じる。
暴力封印しながらアクションは格好良く見せなくちゃいけない、生徒に対してはパンチも直前で止めるとか、ヒーローの抱える
葛藤が重くてベタな作りでも その若々しい活気と熱気につい惹き込まれる、→
posted at 15:28:34

4)ライダーの正統な継承者は断然こちらに軍配挙げたい。気恥ずかしいほどの泥臭いベタな熱さがいっそ清々しいです。
posted at 15:29:10

あと見落とされがちなのは仮面ライダーといっても石ノ森漫画とTVの特撮番組とではは内容別物と割り切るべきところを
同じ土俵で論じるから無理が生じるということ。
そしてどう大人が理屈つけようといつの時代も子どもにとってライダーは正しさ(善)の象徴であり格好良さのお手本なこと。
posted at 15:58:24

真剣に知りたい、現代における人間の自由って何ですか、その答えをちゃんと用意した上で40年前の惹句を引っ張り出して
きたんですか、あえて引っ張りだすどんな必然があったんですか(オタク受け以外に)、
人間の自由のために戦う、この具体的イメージがどうやったら湧くのか教えてほしい>會川脚本。
posted at 16:17:10

※出演者も言語も視聴対象も日本向け(裏返すと他国他地域などの異文化圏に対する配慮ゼロでも特に問題なく通ってしまう)
この国で放映される映像作品における「人間の自由」とは何か、という話である当然ながら。
それは同時に日本以外ほぼ対象外の事実に目をつぶり わざとそこ含めた話に拡大させて無駄に混乱招く事に何の意味があるのか、
でもある。

悪から生まれた(悪と同質の力を有する)仮面ライダー、の図式は散々言及されてきたし 昔からのヒーローの
一つの定型であることの確認作業に近かったので、「その指摘は目から鱗」的な絶賛の声が若干盛り過ぎに見えなくもなく
(その辺の事情に本当に無知だったのかもしれないが)。
posted at 16:45:38

→だからきだ脚本より凄いはないない(あれは確認作業に過ぎないので)、きだ脚本が良かったのは一般人がヒーロー任せにせず
偶然であれ他人を救える力を持ってしまったからには自分も戦おうと立ち上がるところ、あれこそ現代に即したヒーロー像の
一つの帰結の形だと思う。 #wizard
posted at 16:46:40

10/3

ライブマンの録画消化に励んだ昨日、見たのは28〜30話連続の長石監督回。
これが目を瞠る渾身の力作で矢島特監の入魂ぶりも際立つスケールデカイわミニチュアワーク凄いわカメラワーク惹き込まれるわで、→
posted at 12:06:43

内容的にもブラック&グリーンの新加入で晴れて五人戦隊誕生→新合体メカ登場→ 総メカ合体お披露目の重要な節目回でもあり
文句なしの見応え。
posted at 12:07:40

3)何を置いても画作りの秀逸。重厚にして迫力ある巨大ロボ戦。中でもギガボルトの格好良さ←お疲れガッシュ(十中八九)。
砂煙上げて地を疾駆する合体メカ。長石監督のカメラワークの冴えに気持よく圧倒され。
こんな絵ヅラ今じゃ中々お目にかかれない。かつての凄さをあらためて実感。
posted at 12:10:28

昭和ライダー当時の時代感覚だと、
ライダーVS怪人は「自由を求める個(個人)」VS「それを管理し抑圧しコントロールしようとする公(国家)」の可視化された
単純といえば単純な対立図式だった。
それが平成ライダー一期でより個人の内面的成長にテーマの中心軸がシフトし、さらに平成二期では→
posted at 12:16:08

2)二項対立をはっきり個人の心の問題だと打ち出したのが画期的といえば画期的だった。
ライダーも怪人も1人の人間の中にある善悪の比喩的存在、だからこそライダーと怪人は「生まれが同じ」、すなわちそれは
君自身の心なのだと暗に示していた。それがダブル以降の二期の特色にして共通点だった。
posted at 12:19:54

3)ゆえに。改めてヒーロー=ライダーが今の日本で「人間の自由のために戦う」宣言をする意義はとうに失われている、と
いうこと。是が非でもそのスローガンで戦うなら紛争地域でのテロ活動くらいしか現実的に道はなく、だがそれをすれば
ライダーの存在意義を自ら否定する自滅行為となる。→
posted at 12:23:10 

4)ここまで確認してなおスローガンに拘るなら、自由でなく尊厳、人間の尊厳を守るために戦う、くらいしかないのではないか。
少なくとも「自由のために戦う」必要があれば私達一人一人が立ち上がればいいことで、だから「自由」に関して
ライダーは不要(むしろ関わってきて欲しくない)というのが
posted at 12:26:23

5)今の時代に即した、または支える考え方だろうと思う。次の鎧武も「人間の自由のため」という昭和の大仰なお題目とは
かけ離れた個々人の葛藤を扱う、たとえば一期の龍騎のような群像劇の匂いがするので、平成期同様ライダーである必然は特になく
つまり大人の事情が「自由」の正体(必然に仕立てた)
posted at 12:29:09

6)と理解すれば別段何ということもない、ただ茶番をむやみと有難がる過剰な権威主義の主役が子ども達じゃないことだけは
確かだろう(晴人じゃないがそれが「唯一の希望」なのかも)。
posted at 12:30:52

きだ脚本のウィザード最終話の良かったところさらに思い出し。他人の不幸(犠牲)の上に自分の幸福(エゴ)を築くことは
間違いだと明確に言ってのけたこと。ソラも。そして笛木も。
ちなみにこれはライブマンでも重要なメッセージの一つ(歴代の戦隊中でも抜きん出て秀作の部類はもはや確定)。
posted at 12:34:29

何故ならおのれに「義」のストッパーを課すことなく自由のみを追求する果てにあるのは目には目をの復讐の連鎖でしかないから。
欲望や衝動といった獣性の有効な自制基準をもたない(ストッパーなき)自由は、加速度的に過激さを増し最後は狂気に走るしか
道はないから。
posted at 12:42:32

「人間の自由」はヒーローから与えてもらうものでなく、私たち一人一人が自分たちのために自分たちの力で手に入れてこそ
価値があり、それを現代のインターネット社会が可能にしたとも言える。
ネット登場以前と以後での「自由」は違って当たり前、昭和的価値観をそのまま適用できなくて当たり前と思う。
posted at 13:56:05
※とりわけSNS普及以前と以後の違いは大きいと思う。

10/4

人間の自由のため戦うという革命的命題を コブシで解決が信条の仮面ライダーが背負えば 自動的に暴力の行使を
意味「してしまう」。現在の視点では70年代ライダーのスローガンは過激なテロリストと同じ。
しかも(誰も指摘しないが)かつての任侠ものの作り方と子供向け特撮も実は手法としては同じ。→
posted at 10:45:54

※断っておくがいわゆる「任侠」ものと深作以降主流化した「ヤクザ」映画は別ものなので念のため。
そこを踏まえた上でつまらん揚げ足取りメンドイので補足しておくと
後者の流れを作った深作欣二仁義なき戦いシリーズの「仁義なき」とは
従来の任侠もののセオリーをぶっ潰すという「親殺し」宣言なのだが、こちらは余談のおまけであって、
その親に相当する東映任侠路線の
「筋を通す」ため劇中内での悪役たる親分とその一派(組)を主役が最後の最後でぶっ潰す大立ち回りが
お約束的に用意される(つまり「親殺し」展開)のと、仮面ライダーとその生みの親に相当する敵組織の間でも
その同じ親殺し展開がお約束的に用意されている、という共通項を指摘したもの。ポイントは「親殺し」。

せめて任侠は善玉悪玉どちらも暴力に訴える時点で同じ穴の狢だとする達観が担保されるが、
子供向け特撮ではヒーロー側だけを無邪気に持ち上げる、その際の暗黙の了解的ストッパーがこれまでは「義」だった。
義のあるなしが善悪の境界となり、ライダーは子どもの憧れのヒーローでいられた。だが
posted at 10:47:14

その義を否定し自由のみを称揚した途端、元よりの矛盾が白日の下にさらされる。人間の自由のため戦う=暴力行使、これは
繰り返すが過激なテロリストの行動原理そのものだ、ネット行使しての無血革命が次々実現した現実に
ライダーの時代錯誤的暴力による解決方法は置いてきぼりを食らった格好だ、→
posted at 10:48:48

そう考えると今の時代ヒーローが人々に出来るのは、悪に堕ちた者を元の軌道に戻すまでサポートするという
ライ麦畑〜のホールデンが夢見たような行為じゃないかという気がする。
転けそうな子を間一髪キャッチし元の遊び場へ返してやる、是が非でも昭和の継承に拘るならそのさり気なさが鍵かもしれない。
posted at 10:51:07

10/5

ゴウライガンは変身後がCGでなく生身の演技だったことに一番驚いた&嬉しかった。どうせ(失敬)雨宮監督だから変身後は
CG仕立てだろうと踏んでたので。それとOPクレジットで役名の隣に和田三四郎と堂々SA名が併記されていたのも
(たとえ次回から牙狼形式に戻ろうと嬉しい事に変わりなく)。
posted at 17:54:44

訂正。変身後、ではないな、むしろスーツ体は変身前(素の状態)の設定なんだな>ゴウライガン。
posted at 19:03:13

※ゴウライ、確かに絵ヅラ的には面白かったのだが脚本の煩く自画自賛するわりに滑りまくる冗長さが耐え難かったので
残念ながら途中で視聴切り。これは特撮作品に限らずだが、ファン向け内向き志向の不健全さに多分当事者が一番無頓着というのか
感覚が麻痺してるというのか外野ほどには見えてないし気づいてないように思う。

今週配信のジャンパーソンは2話とも急に低年齢層意識した不思議コメディタッチへの変容にテコ入れの影を見るなど。
GGが手がかりに残した写真立て裏の走り書きを「ガンギブソンからの通信だ!」と表現するJPに
バイオマンでの「ハト連絡員」の衝撃が甦るなど。
posted at 17:57:06

@Jinginakisuki 悪から生まれたライダーが終盤で単身悪の組織に切り込むさまは 捨て身で組に殴りこみかける任侠の
お約束展開と基本的に構造は同じです。ただ善玉も悪玉も堅気の衆から断絶した日陰者扱いされる任侠ものとは違い
子供番組ではそういうシビアさは曖昧にぼかされてますが。
posted at 18:03:06

@Jinginakisuki 悪側を出自とする者がその悪の組織を潰すまでを描くという構造の基本ラインの共通項は
私には興味深いことですがそれも人それぞれで宜しいかと。勿論東映と円谷の作風を一緒だとする暴論には与しません。→
posted at 19:00:00

@Jinginakisuki →ライダーのような悪由来のヒーローは任侠路線の延長線上でアレンジ可能で東映カラーに合っていると思います。
posted at 19:00:52 

10/6

鎧武。前半で主人公の性格や家庭環境や大人になりたい葛藤を並べて視聴者の好感を共感に転じたところで、
後半は変身後のバトル展開で要領よく武器紹介しながら
扱いに不慣れなたどたどしさを視聴者も「彼への共感により」 追体験する(自然に気持ちが入る)作りの巧さ。
posted at 10:03:58

キョウリュウジャーは5人体制と素面ヒーローどちらも強化の方向なのは察した(メイン監督の意向が働いてると推測)、
がそんな中ラストでウッチーのぼっちフォローをさり気に入れてくる三条脚本のそつのなさ。
ゴールドの女子苦手感を 次回に先駆けちら出しした照れポーズのアクセントもいい感じ。
posted at 10:05:21

10/7

昨日言い落したが鎧武で何より感心したのはBパートの怒涛の玩具展開が子供の興味をそそる組み立てだったこと。
別々の二つのアイテムがくっついて最強武器になるとか変身の過程に着目&発想のユニークさとか
(さっそく再現できるフィギュアCMも登場)初回を見る限り近年になく玩具がヒットする予感。
posted at 12:10:43