優しい勘ちゃんを想う/カーネーション(54)






土曜日の展開は、これまで無理だ無謀だとの周囲の懸念をよそに、糸子が持ち前の負けん気とど根性といった「個人の努力や頑張りで」突破口を見出しては克服してきた生き方を、真っ向否定してくる強大な力(国家だの戦争だの)に、めちゃくちゃに翻弄され壊された個人の「無力」のほどを、おそらく初めて目の当たりにしたんだと思うが、
来週以降、日を追うごとにその力に否応なく侵食され、愛する土地や人々や生活から大事なものを次々と奪われていく無念さに、糸子がどう立ち向かい乗り越えようと奮闘するか、期待と(胸の痛くなる)不安が交錯するばかりで、昨日は雑然と脳内を飛び交う思念がまとまらなかった。

元々勘ちゃん(と勘助を呼ぶ癖がいつの間にやらついてしまっている)は、軍隊嫌や、戦争行きたないんや、と出征前から落ち込むような、糸子の言うヘタレだとの認識が事前にあったから、あの魂を抜かれたような変わり様にも、実はさほど驚きはなかった。
無事な帰還を祝ってご近所が集まった席で、主役の欠席をしきりに詫びる泰蔵兄ちゃんに、ちらと過ぎった予想は、糸子と同じく身体の損傷、だったが、実際は精神をやられた、つまり「他者には見えない傷」だったというのが、周囲にとっても本人にとっても、当時の常識や価値観からすると、相当に厄介なことだった(理解を得るのはなかなか難しかった)だろうと想像するに難くない。

勘ちゃんが幼馴染の糸子に寄せる好感は、夫の勝が惹かれた要因とも被る、彼女の当時の常識たる性の固定観念に収まらない(また本人にそのつもりもない)、破天荒な生命力の逞しさに(自分にない部分として)魅力を感じてるところからきているように思う。
小学生の糸子が「女だからと舐められたくない」ばかりに、上級生からふっかけられた喧嘩を買った挙句、もみ合いとなって川に流され、あやうく溺れかかった事件のあと、
学校の修身の授業で教える「女の役割」を理解しない「問題児」糸子に対し、担任教師がネチネチと詰め寄るのに、突然椅子ごと後ろにひっくり返るや、頭が痛い!と騒いでみせることで、助け舟を出した勘助。
彼は糸子にすればヘタレだが、裏を返せばそれは当時の模範とされた男らしさの規格から外れた、気性の優しさ故でもある。
つまり勘ちゃんは少数派に属する人間であり、それをいうなら糸子も、当時の模範とされた女らしさの規格から外れている点で、同じマイノリティ側なのである。

ここでもし勘ちゃんの性格に難アリだったら、差別がさらなる差別を呼ぶ構図で、ヘタレと不当に扱われる鬱憤ばらしを、変わり者たる糸子にネチネチぶつけても可笑しくないものを、彼は素直に共感を示し、教師にいたぶられる彼女を庇おうと、彼なりの咄嗟の機転で守ろうとした。
そんな勘ちゃんは、男の格好良さの項目に不可欠な優しさを持つ点で、誰より男らしいとも言えたりする。

どうやら来週は安岡のおばちゃんから、(勘助とは真逆というくらい)人の気持ちに鈍感に振るまいがちな糸子にキツイお灸がすえられそうだが、おそらく無茶な励ましやってしまい、ドツボにはまるパターンなのでは、とヒヤヒヤしつつ明日を待つことになりそう。
それから善作が火に包まれていたのにも衝撃が。
いよいよ焼夷弾でも落ちたか(まだそこまでひとっ飛びにはさすがに進まないか)、なんだろう、気になるね。