揺れる心/カーネーション


ああ、ウチは恋しいんやな。
そうつぶやいて糸子が深い溜め息と共に吐き出した本音はまた、
私という一視聴者にして傍観者の心情でもあったことに、はたと気づかされた。

確かに。
寂しかったよ、彼らの永遠の不在が。
恋しかったよ、彼らの残した思い出が。

大好きなお父ちゃん。かわいい勘助。憧れの泰蔵兄ちゃん。大事な勝さん。

彼女の愛する男たちは、すでに皆この世の人でなく、
日々注がれてきた愛情は、唐突に受け止め手を失くして、
人知れず寂しく、宙を彷徨い続けてきたのだ、周防が登場するまでは。

遅咲きの恋には、上述の男たち全部を喪った心の空洞を埋めるだけの
計り知れない力があるらしい。

恋は偉大だ。

だが同時に

恋は厄介だ。

糸子の愛情の受け皿たる役割りを、一身に背負った格好の周防龍一だが、
いくら両想いが判明しようと妻子持ちでは、進む先に暗雲が控えるは必定で、
単純に喜んでばかりもいられまい。

好きだったと告白だけして、それ以上の進展を望まず、
そそくさと立ち去ろうとした糸子の腕を、逃がさないとばかり
素早い動作で(←さりげない強引さが女子のツボ直撃するのは火を見るより明らか、なんてな)
掴んで引き止めたのは周防であり、
おまけに自分も好きだったと返し、衝動に任せて抱きしめる、までいくと
ちょっと待て、と引っかからなくもない。

妻子持ちの現実はどうなる。男としての責任はどうする。
妻子ともに既に故人などという、「意外な結末」でも用意されているならともかく。
糸子は他人の不幸の上に胡坐をかくような人間ではないから。たとえ恋愛といえども。
また恋と愛でも、まるで様相は異なるだろう。
渡辺あやのここ一番の手腕の見せどころとなるか。何気に期待。


どうやら前日の酔いに任せ、そのまま畳の上に直に寝たらしい北村が
朝の台所で忙しく、また生き生きと立ち働く女たちが立てる音、包丁が何かを規則正しく刻む音など、を
聞くともなく聞きながら、掛け布団に包まり、ゆるゆるとまどろんでいる姿には、
いつぞやの善作の姿が重なって見えてくる。

善作も北村同様に、女たちの醸し出す独特の雰囲気や空気感に
心地よく浸っていたのか、それとも家族中で一人だけ異性で浮いている疎外感でもあったか、
いやどちらもあるのが男なんだろう。
それは女という異性の腹から生まれる性が、半ば自動的に負う宿命といえるかもしれない。
女という丸く柔らかで、どこか甘く懐かしい匂いのする(わけわからん)生き物への、
原初的な郷愁や憧憬のようなものを、すべての男は持ち合わせているのだろう、意識するしないに関わらず。

ちなみに上述のような、カーネーションで繰り返し描かれる
「過ぎ去った懐かしいあの頃が鮮やかに甦る瞬間」については、改めて語ろうと思う。
以前から類似を指摘してきた高畑勲版「赤毛のアン」とも共通する点だけ、とりあえず指摘しておいて。
(高畑アンでの「主観と客観の絶妙な演出配分」についても後日に)


今週は(先週から繰り越された感のある)週の初め月曜の回の、玉枝と奈津それに八重子の三人が、互いに手を取り合うようにして(さりげなくいたわり合う様子が素晴らしい)、
明るい方向へ一緒に逞しく立ち直ろうとする過程に、何度となく目頭が熱くなった。
とりわけ八重子さんが玉枝の髪を整えながら、たまらず横を向き眼鏡を外し涙を拭うような仕草や、
玉枝に、今までのこと堪忍な、と謝られて思わず、すんません、と自分も謝ってしまう(たぶん一度は義母に見切りをつけるまでいった、おのれの不甲斐なさを詫びているのだろうが)辺りが、実に八重子さんらしく微笑ましく。

奈津もやたらな強がり(行き過ぎて傲慢となる)の毒気が抜けたか、自然で柔らかな笑みが口元に浮かぶようになって、従来の我が儘お嬢キャラもいよいよ卒業か。
死ぬほどの苦境と恥辱の限りを味わったせいで、一挙に数段飛びに大人の階段を駆け上がった感。
きちんと「自分を生きている」穏やかな充実感が、顔にそっくり出ている。
あのツッケンドンな物言いが常の、どこか少女っぽさを残したままだった奈津が。苦労は人を大人にするんだな否応なく。

新生「安岡美容室」の制服には、カーディガンがセットでつくのか。色違いにしたセンスがなかなか。
順当に考えると糸子の発案かと思うが、カーデは糸子の店で取り扱う代物ではなし、となると、どこで誂えたんだろう、なんて疑問が、野暮は承知で浮かんできたり。


泉州繊維商業組合の月イチの会合にて。
戦争被害に関する北村や周防や三浦組合長らの具体的事情は知らないが、皆と和気あいあい過ごしている内に、「お湯に浸かったみたいに、心の中から溶けていくものがある」という、本日の糸子の心の呟きナレが、じわり沁み入った。

現実の3.11の被害に遭われた方々の心境として、勝手ながら連想せずにはいられない。

傷ついた心と心がそろそろと近づき、寄り添い合い気遣い合い、励まし合い(玉枝たちのように)手を取り合って、やがて溶けて一つになっていく。
お湯に浸かったみたいに、温かさや心地よさに安心して包まれる感覚。

などと書いているうち、布団に包まりまどろむ北村が、女たちの気配の温かさに感極まり見せた、いやに切なげな微笑みを思い出していた。



.