人は服で変わるんや!再び/カーネーション(132&133・まどわせないで)


今週は、変わらず応援してる気持ちを示したく
(実際作り手側に伝わるかはともかく)、
先週に続きイレギュラーな感想アップと相成ったが。
次週以降はあくまで週一(だいだい土曜)ペースを維持する方向で。←予定


◇アホボン二人のイトコプロジェクトの打診に、
既製服はやらへん、と噛み締めるように呟いた時の、糸子の含み有りげな硬い表情と、
バックに流れる劇伴(『まなざし』という曲)から、条件反射的に
周防龍一の面影が立ち上がる。

既製服づくりはあの一度きり、と決めていたのか、
それほど特別であり大切にしたい、ということか、と
遥かな歲月、密やかに抱き続けた聖なる思いの深さに、じわっとくる。


◇あの学ラン男子と里香にも、恋の(未満の淡さながら)三角関係の試練は
それなりに訪れ、かくて因果はめぐる、であるか。
ヘアスタイルを少しだけ変えてみる乙女心の純情、なあ。
あのチャリには勘助の影も感じたり。

◇糸子のために里香が買ってきた、スペシャルな一人分(1ピース)のクリスマスケーキ。
不意に振るわれた暴力が原因で、ぐしゃぐしゃにカタチの崩れたケーキ。
それを黙って拾い集め、きちんと皿に盛り、大事に頂こうとする行為。
かつての善作(前者)と千代&ハル(後者)の面影がここにも。

イメージの繰り返しによって、より鮮明に浮かび上がる、
感情まかせに何かや誰かに対し「暴力を振るう(破壊する)」側の弱さ、と
それを黙って受け止め(あるいは受け流し)、バラバラに破壊されたものを
再び「拾い集める(修復する)」側の強さ、が興味深く。

感情任せの破壊という幼児性を発揮するのが、かつての男(善作)から
10代(ヤンキー)へという変遷にも興味をひかれる。
これでは「女子ども」なる言い方は、「男子ども」に直すべきかと思えてくる。
千代やハルだけでなく、「崩れたケーキを黙って拾い集める」強き心に、
知らぬうち支えられている、世の中も、人も。
祖母や母の「人としての在り方」を、身に沁み込むように受け継いでいる糸子に
感慨ひとしお。


◇世間と無関係でいられる人間など一人もいない。至言。
社会性を身につけずして、まともに生きていける道理がない。
ジャージでどこでも通用するほど、世の中は甘く出来ていない。

「お嬢さん育ちがちょっとグレただけ(by直子)」な里香らしい
母優子への反発理由の可愛さ。
嫌いじゃないけどイヤになった!優しくできないどうしても!

一体「誰」の思いを想定しての台詞なんだか。
さすが物書きの洞察、先の事態まで事前にお見通しだったかと苦笑い。
世を席巻するオトナコドモは先を争うように駄々をこね、
その破壊した欠片を「黙って拾い集める」者は何処に。

◇オノマチ続投を可能と考える理由に、
特殊メイクの進化を挙げる意見も根強くあるようだが、
週6回放映の過酷な朝ドラのスケジュールで、一回のメイクにつき
何時間もかかる特殊メイクの現実を無視した要求では、
真面目に取り組んでいるスタッフや演者が気の毒というものだろう。

92歳まで生きた女性の一代記を題材とする最大の利点は、
大正、昭和、平成と3つの元号を通しての世情変化を、個人史と絡ませ、
描ける点にあると思うのだが、
幸か不幸か、オノマチ個人の魅力が突出した結果、周防こと綾野剛の場合以上の
「脚本の設計バランスの崩れ」を招いただろうことは想像に難くない。
もし現状バッシングの影響で、スタッフや他の演者とオノマチとの、
これまでの和やかな関係にヒビでも入ったら、どちらにとっても不幸だろう。
本当に気の毒としか言えない。

明日で「あの日」から一年。
糸子の脅威の長寿は、「あの頃」の親しい人を次々見送り、
一人この世に残されて立ち尽くす孤独をも必然的に内包するわけだが、
しかし彼女は、悲しみにめげず、死を乗り越え、何度でも一から新たな関係を築こうとする、
これまた脅威のバイタリティーを発揮する人でもある。

そういう糸子の描写を無駄とか不必要とか、切り捨てるのは如何なものか、
この時期にエゴを剥き出しにする場違いを、もう少し慎重に考えてみてはどうか、
同じ「あの日」を体験した日本人として。

加速度的に殺伐と、また暗さを増してくる時代の変遷を目の当たりにしながら、
「大切な宝」を一つもらさず抱きしめて、頭を上げ、胸を張って生きる糸子という個人の
生命の軌跡を、最終話のフィナーレまでしっかり見ていきたい。




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