午後二時四十六分。
一年前の本日、その時に、黙祷。
他地域との著しい温度差を訴える、被災地からの声、
見捨てられた気になる、との訴え、
心に刺さる。言葉が止まってしまう。
放射能関連で、すでに酷い差別は生じている、という。
絆だとか頑張ろう日本だとか、言葉だけが先走りし
お飾りのように、言い訳のように、アリバイのように、
連発することで、安心し、忘れてしまい、他人ごとにしてしまい、
もう一年、まだ一年、
あっという間の、長かった、等々
受け取り方にも「温度差」はあるのだろう。
何も変わっていない、まだまだ何も始まっていない、
これだけは、本当のことだ。
これだけは
忘れてならないこと、覚えておかねばならないことだ。
「温度差」を自覚する。自覚し続ける。
他人事にしてはいけない、と自分に常に言い聞かせる。
せめて
ともにこの国に生きている同胞のことを
忘れないでいたい。
たとえほんのわずかでも、
ただの気休め、あるいは偽善の類であろうとも、
その痛みに、苦しみに
思いを馳せる心を、持ち続けていたい。
一緒に、生きていくこと。
それは言うまでもない、当然のこと。
心に刻む。
もう一度。そして、何度でも。
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