特殊メイクのこと/カーネーション


交代劇への批判渦巻く喧騒以上に、驚いたこと。

特殊メイク技術の限界が、主役交代を余儀なくさせた、というのは大嘘なので
念のため。

特殊メイクの進化に関しては、フィンチャーの『ベンジャミン・バトン』(2008制作)でも参照のこと。
どれほど映像の技術革新が進んでいるか、一目瞭然だから。
よって「不可能ではない」のだ。予算と時間さえあれば、ね。

だからそれを週6日放映の朝ドラに求めるのは酷である理由も、
「予算と時間がない」からに尽きる。別に技術が稚拙なわけではなくて。

技術革新の現在も、特殊メイクの凄さも、理解しようともせず、おのれの無知を省みもせず、
頭ごなしに軽んじて
「ハイビジョンではバレる」だの「実年齢は誤魔化せない」だの、
思い込みの嘘八百垂れ流されては、映像作品贔屓として、とうてい我慢出来ない。

自分の不平不満を納得させたいため、無理くり脳内でつくり上げた理由づけデマ
(特殊メイクではオノマチを老糸子に見せられない)を、
公の場で平気で垂れ流す無責任を、技術およびスタッフの力量を侮る失礼を、
どう考えているのか、自覚はあるのか大いに疑問。

ちなみに今期大河でも、公式サイトにて
白河上皇(演:伊東四朗)のスキンヘッドの高クオリティーに言及しているが、
実際に映像で観ても、「地肌」と「かつら」の境界に
違和感は殆ど感じなかったことを言い添えておく。
(大河の特殊メイクも「ついでに」貶められていたので擁護)


しかしながら、最近また久々に某所を覗くようになれば、上記をほんの一例とする
相変わらずの様子に、気が滅入ること滅入ること。やはり近寄らないのが得策らしい。

安易なデマを軽々しく流通させることの責任を、もう少し自覚してもらいたいと願うのは
そんなに無理な注文なのか。
公の場なればこそ発言には慎重さが求められる、こんな言わずもがなの常識も
もはや通用しない、とは思いたくないものだが。

意見や考え方が異なるのは健全なことゆえ構わない。だが嘘はよくない。
しかも公共の場での嘘は。最悪である。

確実なソースなき噂の域を出ない情報を垂れ流すのは、
各方面に多大な迷惑をかけるのだということを、何故わからないのか、気付けないのか
不思議でしようがない。

と大人相手にしてるつもりが、もしや違うのか、勘違いなのか、
そんな漠然とした心もとなさも同時にじわじわと。


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