これを見るために生きてきたような気がする/カーネーション(148)


最終週『あなたの愛は生きています』


ずっと糸子の来し方を見てきた、彼女の人生の時を一緒につき合ってきたかのような感覚が
根強くあるカーネーションファンには、本日のあのシチュエーションにおいて、
ナガサキ、のひと言を耳にしただけで、
いまや遠い過去となった周防をめぐる記憶の断片が、鮮やかに脳裏に甦り、
たちまち目の前がぼんやりと霞み出す有り様を、図らずも露呈してしまうのではないか。

夏木糸子の「おたく、どちらさん」と、
不意の嵐がもたらした、いちどきに万感去来する衝撃の重さに耐え、努めて穏やかに尋ねる、
その口調と泣き笑いの表情、良かった。胸に沁み入る本物だった。

川上と糸子のやり取りシーンを、田中健二演出が一層効果的に見せていた。
丁寧かつ慎重なカメラワークの横移動、的確なレイアウト、カット割りのタイミング、
ここぞという落としどころでアップを多用する判断、文句なしの出来だったと思う。

優子を相手に、周防の娘、川上が来し方の心情変化を告白するのもまた、
しみじみと重く切なく、涙を誘われる。

この人にはこの人の、葛藤を重ねてきた歴史があったのだ。
父の不倫相手に対する様々な「わだかまり」から、やがて解放されるまでの、苦しい心の遍歴が。

川上と優子とが、休憩室だろうか、部屋の隅の長椅子に並んで座り、
互いに涙で言葉をつまらせながら、訥々と語り合うシーン。
同じタイミングでぎこちなく涙を拭う(鼻に手を添える)、糸子の娘と周防の娘の
2ショットにも、グッときた。

「老いぼれの身体に轟くこと、打ちのめすこと、容赦のうて」
「ほんでも、これを見るために、生きてきたような気もする」

この糸子の独白に「夜空に花火」の映像を合わせてきた、タナケン演出を支持したい。

パッと大輪の眩しい花を一瞬咲かせて、再び闇に消えていく、
ひっそりと誰にも言わず、ひとり胸の奥に沈めてきた「あの人」への思い、
あの頃の気持ち、

長い長い時間を経て、まさかの縁が、糸子と周防の結びつく魂を
静かに指差す。

ある意味暴力的なまでに、一気に明るみに引き摺り出される、
大事にしまってきた、密やかなる思い、

過去だったはずのあの頃という時間が「容赦なく」眼前に立ち現れ、
それが滂沱の涙となって、糸子の両眼から止めどなく溢れ出し、
彼女の肩を、いつまでも震わせ続ける。


医療現場の皆さんにお話できることはただひとつ、と
そこで糸子の言葉がカットされ、(講演のシーンから)場面が切り替わったのは、
最終話への布石、予告みたいなものか。

その言葉の続きは、ラストに至るまでのどこか、効果的場面で出してくるのだろうか、
ということは

糸子の思う「ただひとつ」が何なのか、を示して終わる、流れになるのかもしれない。
(などと想像しただけでウル目再び)




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