はつ恋(7)Promise


危ういバランスの上に成立する「人も羨む幸福な家庭」の悲しき幻想。
過去の未練に引きずり込む亡霊の思わぬ横槍で、脆くも崩壊する砂上の楼閣。

在りし日の恋愛は、いまや不可抗力の天変地異に匹敵する猛威をふるい、
平凡でちっぽけな家庭の幸福をバラバラに吹き飛ばしてしまった。

夫も妻も無理をして「幸福な家庭像」支え続けた/演じ続けた、
その場を丸く収めるための/相手や周囲を傷つけないための
方便としての嘘のツケが、
ついに会話や表情に露出しだすのを止められない。
どちらにも、そして誰にも。

16年前に三島のせいで緑が被った悲劇の真相を知り、居たたまれず失踪した彼を、
必死に探し回る緑。
そんなにあの男のことが好きなのか・・・と絶句した。
差し迫った真剣な目つきに、その恋慕の深さに圧倒された、隠しても隠しても滲み出る
思う心に、胸打たれてしまった。

探さずにはいられない。求めずにはいられない。
まさに恋愛は狂気と紙一重
暴走は本人にすら止められないのだ。一種の病気だ。
悶え苦しむほど辛いのに、もっと欲しいと求めてしまう、なんて
ヤク中アル中の親戚みたいなもんだ。

緑にとって三島は、別離から16年後の再会までの間、ずっと時が止まっていた存在だった。
だから情事の際にも「三島くん」と当時の呼び方になる。
三島にとっての「ドリ」と同様に。

野次馬な第三者としては、過去を美化しすぎ酔いすぎ痛すぎ、などとつい批判的な見方に
傾きがちだがしかし、元来「恋」とは気恥ずかしいものだから
この懐かしの呼び合いじゃれ合いの(外野から眺めた時の)「勝手にやってろ」感は
丁度いいのかもしれない。

失語症に陥ったことで、発語に大変な負荷がかかる分、より欲望をストレートに口にするようになった
(「一緒にいたい」とか)三島、という設定は、
本作のストーリーをドラマチックに牽引するための必然だったと気づいた。

三島は本能で動いてしまえる動物的役割を要請されているのだ作品から(つまりは中園ミホ脚本から)。

家庭を(見かけ上は)常に平穏無事に保ってきた、例の「優しい嘘たち」を躊躇いなくぶち壊し、
はた迷惑な(苦笑)風穴を開ける、ある意味憎まれ役だから、
彼の葛藤は大胆にカットされてしまう、緑や潤ちゃんの葛藤の方を引き立たせるためにも。
(それで彼だけが露骨に単純化した描かれ方なのだろう、と無理やり自分を納得させてみた)

三島が便利なハリボテ、添え物なら、以前に仕込んだ「オーベルジュ」もそういうベタな使い方以外にないわけで。

だから肝心なのは、緑が健気に死守しようとするかよわき理性が、ぐいぐい強引に引っ掻き回しにかかる
三島のオス全開な本能によって陥落させられる過程にあるんだろう。
理性が本能に屈する成り行きは、当初から敷かれたレールだった。
ただ理性を捨てるにも二段構えの捻りが効いていて、そこが面白かったのだけれど。

緑が思い出の公民館にて三島に「家族を傷つける訳にはいかないの絶対に」「だから今度こそ本当にサヨナラ」
と別れを告げて玄関口へと向かった直後、そこには血相を変えた潤ちゃんが呆然と立っており、
怒声とともに三島に食ってかかったり、グランドピアノに八つ当たりをしてみせる騒動の後に、
半ば引っ張るようにして緑を強制的に連れ帰る、というおまけの一幕が挿入されるが、ここが重要である。

緑は「自らの意志」で別れを決めたのに、「第三者(潤ちゃん)の意思」が介入してきて、決定に関する
主体性が侵害されたのだ。

主体性の侵害は、緑のキャラ以前に中園ミホが嫌うパターンかもしれないが、ともかく緑はそこでもう一度、
角度を変えて眺める客観性を得たんだと思う。

「絶対」という言葉で消し去ろうとした本心、今までひたすら抑えつけてきた激しい恋慕が、
本当は誰に向かっているかを、彼女はこれ以上ない明瞭さで分かってしまった、気づいてしまった、

それがあの、潤ちゃんの問いかけにも答えられない、言葉を失い、衝撃と混乱にやや口を開けて固まった、
壮絶な表情となって現れた。

痛々しいほどに、身を守るすべての虚飾を剥がされた、剥き出しの、息も絶え絶えに追い詰められ、
ぐしゃぐしゃに涙に汚れた女が、力なく肩を落とし、ただ震えている。
これからどうなってしまうのか、まったく先行き不明の、心もとない恐怖に身を縮こまらせて。

件のオーベルジュからの朝帰りの時もそうだった。
夫にキツく理由を問い詰められ、いつもの咄嗟の嘘で、明るく何でもないようにかわそうとした緑だが、
その目は始終落ち着きがなく、ちらちらと夫の方へ視線を投げる際の、どこか卑屈な、怯えた小動物のような様子は
見ていられないほどで、そんな目をしないでくれと心から懇願したくなった。

いつもどこか無理をしていた緑。
明るさ、元気の良さ、あの息苦しいほどのテンションの高さは、潤ちゃんと結婚して以来ずっとやり続けていたのだろうか、
そして潤ちゃんは潤ちゃんで、一方的に惚れ込んだ緑を、何度断られてもめげずに口説き倒し、ようやく結婚できた弱みから、
緑のためならと極端に「良い人」を演じすぎた嫌いはあったのかもしれない。

どちらも相手に対し、実際以上に背伸びしていい面を見せようと気を遣いあい、遠慮しあっていたなら、
三島の出現であっけなく屋台骨が揺らぐのもわかる気がする。8年、というのもまた微妙な年月ではある。

だが潤ちゃんの我慢に我慢を重ねた果ての爆発には、さすがに同情を禁じ得ない。あれを酷いなんて誰が言えるだろう。
緑に「(他の男に気持ちがある女とは一緒には暮らせない)出ていってくれ」といい、「健太には会わせない!」と
口走ったのも、哀しい未練のなせるワザ、健太は緑との幸福な記憶に繋がる唯一無二な子宝だから、せめて自分の手元に置きたい
(緑に連れて行かれたらもう緑との接点はゼロになるから)焦りが言わせたんではなかろうか。

潤ちゃんにとって緑は「夢の女」で、下にも置かぬ扱いで大切にしてきた最愛の妻だったから。
今でも愛が深いからこそ、瞬間的に憎しみに転換するのだし。
潤ちゃんの報われぬ純情一途っぷりにウル目。

サトエリ演じる三島の元妻による、潤ちゃんの職場突撃訪問にはギョッとした。
なんで部下の耳にも入ってしまう職場で、わざわざ相手の恥になることをぶちまける。
茶店ででも待ち合わせてそこで話せばいいではないか。この相手への配慮の欠如に気づけない、
自分しか見えてない振る舞いに精神的幼さを見てしまう。悔し紛れに緑の不倫を証明するメモを落としていくとか。
めんどくせー女とか思ってしまう(スマヌ)。
せめてあの部下の生保のメガネっ子が握りつぶしてくれて、ホッとした。
本気なんだなあの子も潤ちゃんのこと。

潤ちゃんも、緑の不倫発覚後も、努めて冷静を心がけるように、単なる世間にありがちな軽い浮気の一つで
片付けようとしたんだったが、さすがに無理だったな。その程度の火遊びなら、まだ良かったのに。

緑が乗り込んだバスが走りだす、家から飛び出してきた健太がそれを追いかける、
行かないで行かないで行かないで行かないで。脳内で勝手にリフレインするあの子の心の声。
追いかけて途中でコケてしまう映像の断片がよぎる。ベタは承知でもこれが泣かずにいられようか。








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