「たかが保険屋」の正義と救いと/ラストマネー






初回から欠かさず観てきたが、最終話にきて正義のこと、他者を救うこと裁くこと、の普遍にして難しいテーマを正面切ってぶつけてきた一方、けして安直なお涙頂戴の大団円に落とし込まないところに、作り手の志と矜持を感じる。
それは保険絡みで浮上する人の心の闇の複雑さ、計り知れなさに翻弄され苦悩しながらも、おのれの出来うる誠実を貫くべく、精一杯もがきにもがいた主人公の保険査定員、向島伊藤英明)の人としての矜持を引き出す原動力でもあったろう。

佐々倉亜希子(高島礼子)は連続保険金詐欺容疑で取り調べ中、とのTVニュースを見て大野(中丸雄一)が、「良かった、けっきょく正義は勝つんだ」と無邪気に呟くそばで、陰りのある硬い表情となる向島。正義とは何だ。そんな単純な定義でいいのか。だがその向島も過去に下したおのれの保険金支払い判断のミスから、ある幼き少年の人生が破壊されたと考え、以来ずっと負い目を感じている彼の祖父・水谷(夏八木勲)に対し、「一体自分は今まで何をやってきたのか、けっきょく誰も救えなかった」と思わず心情を吐露してしまう。
大野の「正義は勝つ」も向島の「誰も救えない」も、狭い一面的見方だけで「こうだ」と結論づけている点で傲慢さに変わりない。
ゆえに水谷もあえて「たかが保険屋が、何を思い上がったことを言っている!」と一喝したのだ。人なんて、そんな簡単に救えるものじゃない、(だから全部背負おうと無理しなくていい、するんじゃない)と。

向島が少年の病室を訪れるたび、そっと置いていった動物のミニチュア玩具。
退院したら動物園に行きたいと言う子どもを少しでも元気づけたくて、いつの間にか115個まで集まった、それを水谷は「あんたは115個分の誠意で救ってくれた(あの子と俺を)」と表現した。ずっしりと中味の詰まった等身大の誠意、を確かに私たちは受け取った、と言葉で伝えることで、別件(亜希子の件)で落ち込む向島を励ましたかったのだろう、今度は自分がお返しに。

未だ見えない真実を求めて、亜希子が逃亡先に選んだ故郷・新潟に自らも赴き、彼女の過去にまつわる場所で、当時の彼女を知る人々からの聞き取りを元に、次の立ち寄り先を推測して後を追いかける、を繰り返す向島の行動は、ひとえに他者に関わる「責任」と「誠実」からのものだ。それが不幸続きの辛い生い立ちや保険絡みの悲惨な過去に、目には目をの復讐心で対抗しようとした亜希子への「あなたならもっと違う生き方ができたはず」などと踏み込んだ発言ともなる。
そんな向島をだが亜希子は「たかが保険屋のくせに」と鼻で笑う。その言い様は水谷と同じ、「人はそんな簡単に救えない」のだ。言葉の歯がゆいまでの軽さ。重々承知していても、亜希子のような人を前にすると、向島に限らず無意識に口をついて出てしまうものかもしれない、とも思う。もしその人のことを真剣に気にかけているなら。

亜希子の魅力に取り込まれ、危うく新たな保険金詐欺の犠牲者になるところだった弁当製造業主任の奥居が、保険金の受取りを再び実の娘に戻すための書面手続き中に、ふと漏らす亜希子擁護の弁が興味深い。騙された男たちは、騙されているのをうすうす知っていたのではないか、それは彼女の存在が心の支えであり拠り所な自分がそうだったから、というのだが、しかし仮に受け取りが亜希子のまま、彼が「心地よく騙されて」死ぬのは本人の自由かもしれないが、母を早くに亡くし父だけが頼りの幼い娘はどうなるのか考えるまでもないわけで、この辺の理の通らない矛盾具合がすなわち人間の弱さということでもあるのだろう。ちなみに奥居は娘に愛情を注ぎ大切に育てている良き父親だったりする。

社会正義と会社の正義は違う、と一之瀬(田畑智子)に尊大に言い放った藤堂専務(伊武雅刀)は、世間と株主の反応のみが判断基準ゆえに、節操なく主張をコロコロ変える困った人なのだが、一之瀬の進言であれ向島の進言であれ、一度はおのれのメンツを保たんがため、頭ごなしに否定してかかるのに、どちらも後からちゃっかり採用していて、しかも我が手柄と澄ましているのがなんともセコくて笑える。思想も哲学もない俗人の典型、そこはかとない小者感がいい味出していた。

新潟かどこぞで泊まった宿にて、亜希子が布団に寝ている息子に添い寝して、静かに涙を流しながら小さな手に自らの手を重ね、息子の頭や頬や額を優しく撫で続けるシーンと、終盤、暗い独房の布団に一人横たわる亜希子が、まるで隣に息子が透明人間となって眠っているかのように、先述の動作を繰り返すシーンとは、もちろん対応しているわけだが、欲を言えば最初のシーンをもう少し長く引っ張り印象を強めておいたら、さらに効果的だったかもしれない。

これに限らず(さらに「今回」にかぎらず)時々首を傾げる演出が目についたのだが、例えばタクシーに乗り込む大野に次いで強引に同乗してくる奥居、のシーン。大野が行き先を告げても、奥居が亜希子を助けたいとの自らの並ならぬ決意を喋っている間は、タクシーのドアが閉まらない、というのはやはり嘘くさい、違和感がある。
どう考えても先に奥居が喋り、その勢いに唖然とした大野が一呼吸後にはたと我に返り、運転手に行き先を告げ、速やかにタクシーのドアが閉まる、の方がより自然だろう。
(なにも完璧に脚本通りにやる必要はないと思うのだ、その程度の台詞の入れ替えで内容が大きく変わるわけじゃなし、そこは臨機応変に、現場判断でベストな選択をすればいいのにと思う)

もうひとつ。亜希子を金山跡地(?)で向島が見つけるご都合展開はいいとして、彼女の息子を大人同士の身も蓋もない話から遠ざけようと、遊んでおいでと向島が促すものの、子どもは少し離れた背後に突っ立ってる大野と奥居のそばにいる、というのでは話が筒抜けで(大野&奥居は二人の話が聞こえているらしい反応を示すことから)どうにも具合が良くない。あの人物配置にももう少し工夫と配慮が欲しかった。

最後にミーハーなことを言うと、『海猿』未見(BS等でやっていても、いつも観る気がいまいち起きずスルーしてしまう)で昔の姿しか知らなかったゆえ、久方ぶりに見た伊藤英明の男前ぶりには少なからず驚いたことだ。
対して松重豊は『深夜食堂2』の第1話にも出演していたが、あの人の印象は昔から変わらない、好ましい役者さんの一人。

そして脚本の武田有起といえば『僕とスターの99日』の初回も一応視聴し、まるで韓流に疎いのもあり、あのヒロインの良さがまだピンときてないのだが、西島秀俊がラブコメやってるだけでも観る価値(珍しいという意味で)はありそう。
本人が意欲的なのは、池に飛び込んだり、喧嘩シーンでぶっ飛ばされたり地面に勢いよく転がったり、の体当たり演技からも窺い知れる。
顔の絆創膏が微妙に『タッチ』(アニメのやつしか知らんけど)風味か。まさか「いまでも気持ちは高校生(キラキラ〜)」なんてオチじゃないことを祈る。