女子の夢と希望を描く/カーネーション






第四週「誇り」のまとめ感想など。


公式サイトに掲載された椎名林檎による「カーネーション」主題歌歌詞を黙読するだけで目頭が熱くなるほど、毎朝流れるあの楽曲を気に入るあまり、知らぬうち断片的にフレーズを口ずさんでることもしばしばだ。
劇中での、糸子(尾野真千子)に洋裁の心構えを教えようと根岸先生(財前直見)が発した「人は品格と誇りを持ててはじめて、夢や希望も持てるようになる」の言葉にも通じる、繊細な情感の中にも凛とした命の逞しさが備わるいい歌だと、聴くたびに思う。

人一倍の負けん気と男の子顔負けに威勢のいい野心を抱いただんじり好きの女の子が、「小さく躯(からだ)を丸めて」世間や時代がふるう、様々な制約や禁止事項の抑圧がもたらす悲しみから身を守りチカラを溜め込み、時に「重く瞼(まぶた)を濡らしつつ」も「よろこびを映す日のため心を育てている」のだ、という内容そのものに本作のテーマが漏らさず言い尽くされているように思うし、このどこか浪漫ちっく、乙女ちっくな趣を感じさせる歌詞の言葉の、強い感受性に裏打ちされた主観の羅列にしても、本編での糸子の一人称ナレーションで牽引する手法とのシンクロ度は高く、見事にある一定のイメージが統一されているわけで、そもそも本編の作りからして劇中に女子のツボ(いわゆる乙女心なるもの)をくすぐるアイテムやイベントを巧みに散りばめる計算が働いている、とは当初から密かに感心していたポイントではあったのだ。

異国の人々の新年を祝う舞踏会に飛び入り参加し、おとき話のお姫さま気分を味わうだの、
豪華な総レース仕様の淡いピンクのドレスが、何の前触れもなしにプレゼントされて有頂天になるだの、
当時のお洒落最先端なパーラーのパステルカラーな内装と客たちを愛でながら、初めて尽くしの美味しいおやつに囲まれて贅沢気分に浸るだの、
どれも(当時の感覚からすると)まるで日常とはかけ離れた夢の世界が、突如として目前に展開するのであり、その「キラキラ世界」に視聴者も糸子と同様(かそれ以上)に魅了されるのは、大人になった今ではすっかり忘れていたあの頃の初々しい驚きや期待感が、本作には漏れなく詰め込まれている、というようなどこか懐かしい感覚を呼び起こすからではないかと思う。

糸子のキャラクター造形にも女子ウケしそうなツボはこれでもかと盛り込まれていて、例えば根岸先生のミシン実演販売に集まった人だかりをかき分け、誰よりも真ん前に進み出た糸子が、幸せ一杯の蕩けそうな表情で両手を組み合わせて根岸の仕事ぶりをうっとりと眺めるシーンの、周囲のことがまったく意識から飛んでいる、あるのはただ「自分と根岸先生だけの世界」な主観にどっぷり嵌るさまと、
心斎橋のミシン教室見学時に、他の女性達がミシンを遠巻きに取り囲んで立ち話する中、一人だけとっととミシンの置かれた台の前に行って当然のように座り、うっとりと目前のミシンを眺めるシーンの、これまた周囲など意識の外、あるのはただ「自分とミシンだけの世界」な主観にどっぷり嵌るさまは、
好きなものに対し一途な情熱を惜しみなく注ぐ飾らない率直さと、直感や主観で突っ走る女子力描写の点でまったく同じであり、つまり繰り返しによる強調表現として、女性視聴者の好感度に少なからぬ影響を及ぼしているように思える。
これと見込んだら脇目もふらず猪突猛進、一直線、ミシンはウチの「だんじり」なんや!とがっつり食いついて離さない糸ちゃんパワーこそ女子力の底力であり、一つの理想的あり方とする見方が少なくないのでは(とくに同性には)。

ものすごい形相で、友だちである奈津(栗山千明)を「たらし」にかかった春太郎(小泉孝太郎)にガンつけまくる糸子も、(同伴の女性の気詰まりな様子にも構わず、後ろに立たせたまま、自分だけ根岸先生の隣にちゃっかり座って話し込む段階で、駄目男キャラ決定な春太郎であった)
洋装で街を闊歩している最中にたまたま出くわした泰造兄ちゃん(須賀貴匡)への、きまり悪さに臆する気持ちを奮い立たせて、すれ違う直前にしとやかな会釈を返し、背筋をぴんと伸ばして颯爽と立ち去る糸子も、
根岸先生とのお別れシーンで、下唇を噛み締めて号泣したいのを我慢してるような半べそ顔で見送る糸子も、
等身大の少女のリアリティが同性の共感を呼ぶのではないか。
泰造兄ちゃんへの会釈シーンなんぞは、ようするに憧れだった年上のいい男が、美しく変身した自分に言葉を失って見とれる、というある意味、女子の理想シチュまんまを具現化してるわけで、好感持たれない理由がどこにもないのだった。

SEや劇中音楽(佐藤直紀の音楽自体も素晴らしい)の流すタイミングや選曲の凝りようで笑ったのは、それまでのこだわりを捨て、今後は糸子の洋裁修行を応援する決意をひそかに固めた善作(小林薫)が、以前ミシンの実演販売に場所を提供した木之元(甲本雅裕)に根岸先生の所在を訊こうとするシーンでの、店内に置かれたデカいラジオからベトの「運命」が重々しい調子で高らかに響き渡る仕掛け。
他にも女学校を辞めさせた理由は金だ、と衝撃の開き直り発言で糸子を絶句させた善作が、早急に次の働き口を見つけるよう言葉巧みに説得するシーンでの、劇伴と台詞との絶妙な間合い、タイミングにも感心しきりだった(あれは現場で音を実際に流してタイミングを合わせたのか、とか考えてしまった)し、意を決して善作が心斎橋の根岸が講師を務めるミシン会社(出張所みたいなところか)を尋ねた際の、室内にいる二人に外から聞こえてくる路面電車の発車時のSEを入れるという、細部の音のリアリティに気を遣う工夫も良かった。

心斎橋まで出向き、根岸に糸子への洋裁指導を頼んだ善作が、いい気持ちで酔っ払って遅くに帰宅すると、すでに寝入っていた娘たちを無理矢理に叩き起こし、初めてパーラーで飲んだコーヒーなるものの講釈を垂れるシーン。その際の「悪くない」との評価が、表向きはコーヒーでも本音は「洋裁(洋服)」に対してなのは明らかで、それを善作の初めてのコーヒー体験に絡ませ、直接でなしに間接的に認める、理解を示すという一捻りした展開の妙が心地よい。
土下座の件でも、慌てふためく根岸を尻目に自分たち商売人には日常茶飯だと笑い、こないだは後頭部に先方さんの下駄の跡がついただのと、独特のギャグまでかますお父ちゃんの、格好良すぎるハッタリに泣く。男はつらいよ

今週のカメラワークは全体的に安定したフィックスショットがこれまでより多く、アングル移動もより控えめだったのは、演出と撮影の意思疎通の連携が、あるいは日を重ね週を重ねるごとに良くなってきているのか、その辺の事情はよく分からないまでも、確実に映像の質の向上が図られているようで頼もしく、本日分では糸子の頬づえつくショットに少なからずドキリとし、あらためて高畑演出でのアン・シャーリーを連想したりした。
結構あのアニメのイメージを糸子に見ているところがある。お下げ髪で癇癪持ちな性格とか、何より自分の世界に一気に浸れる(たちまち周りが視界から吹っ飛んでしまう)、主観で突っ走りがちな情熱的なところとか、他にもモロモロ。