「変身願望」も「正義の味方」も取り扱いに注意/妖怪人間ベム







本当は特撮ヒーローものの範疇に入るであろう本作が、土曜のプライムタイムに放映されること自体喜ばしい快挙といえる。子どもを主なターゲットとする所謂ニチアサだけが、ジャンルの代名詞扱いされる窮屈さからの脱却には諸手を上げて歓迎だし、視野を広げて本気の勝負をかけてきた新規開拓となれば、心から応援しないわけにはいかない。

だがそんな思いとは裏腹に、先々週のepi1の録画予約に早々に失敗して番狂わせが発生、まあ済んだことは仕方なし、一話分飛んだくらいで話しについていけないこともなかろうと、先週のepi2の録画を視聴したところ、予想を上回る作り手の本気度を目の当たりにし、ついに配信サービス利用でepi1も後追い視聴した次第だ。

小林清志ナレといくつかのショットで構成された、アニメを彷彿とさせるOPの導入部に好感。
他にもベムたち三人に共通の、ウロコ状に裂けた肩から腕にかけての凝った特殊メイクだとか、変身後の着ぐるみの細かい表情変化にまで気を配ったりだとか(後からCG等で補正入れてるんだろうが)、特撮パートを疎かにしない(ちゃちに見せない)作り手の情熱と意欲は原作(アニメへの)リスペクトから生じているに違いない。

epi1で最も印象的だった、夏目刑事(北村一輝)が濡れそぼったベム(亀梨和也)を見かねて相合い傘となるシーンの、しっとりと落ち着いた情緒ある演出には、二人が画面手前に歩いてくるのをワンショットで捉える長廻しが貢献している。

撮影面に限らず全体的にスロー気味なテンポ運びなのは、その根幹にあるじっくりテーマに取り組もうとする脚本の腰の据え方が、作品全体に影響力を波及させている(支配していると言ってもいい)からだろう。

率直な感想として、若手中心でまとめた俳優陣の演技に関しての総合力も、映像から受け取る技術面での完成度も、西田征史脚本を凌駕するほどのパワーに(こと後者に関しては従来のTVの「常識」では、映像表現の技術的限界から当然とされてきた節もあるが)足りず、そこが三池崇史監督の映像力で圧倒してくる『QP(キューピー)』(←ただし三池回に限る)や、脚本の力が筆頭にくるにしろ全方位に抜かりなく高レベルをキープし続ける『カーネーション』との差なのかとも思うが、

西田脚本といえば、言わずもがなのタイバニこと『Tiger&Bunny』を契機に注目する脚本家の一人で、それで本作の仕事ぶりにも期待を寄せていたのだったが、やはり30分枠のアニメより1h枠の実写の方が向いているというか書きやすいのではとの思いを強くした。
丹念にキャラクターの心情変化を描く時間的余裕が、西田脚本の個性にはある程度必要なのかもしれない(30分枠だったタイバニでは必要最小限に切り詰めねばならず、仕方なく省略した部分も多かったのではないか)。

首の長いキリンを例に挙げ、化け物の定義の曖昧さを指摘する緒方教授(あがた森魚)の台詞もepi1だったか。なのに夏目刑事はその後も化け物を気味悪がったり警戒する言動を止めない。人間は本来、偏見と差別の塊だから。そこから誰一人完全に逃げる術はない。せいぜい理性と倫理を総動員して情けない本能を野放しにしないのが肝要。

さて特撮ヒーローといえば、変身後の異形スタイル(人間からすると化け物に近い、人の集団の中にいたら確実に周囲から浮きまくるであろう異様な外見)の次に特徴的なのが、その「変身」という概念そのものだと見抜き、早速epi2のテーマに持ってきたのには、驚きつつも嬉しくなった。

不甲斐ない自分より駄目な奴を見下すことで、精神の安定を得ようとするコンビニ店員・神林(風間俊介)の、手作りのアーマードスーツ紛いのコスプレも、
クラスメートの虐めにストレスを募らせる女子高生・小春(石橋杏奈)の、夜毎のイメチェンファッションも、
外部から自分を守る一種の強化武装であり、それが外部に対しての攻撃的、威圧的な態度や言動を可能にする(見た目の錯覚のなせる技で)点で同じである。

彼らの「変身」願望には、他者を貶めると同時に自分をも無価値と断ずる、徹底した卑屈さが見え隠れするのだが、それで思い出すのが先日の『カーネーション』での台詞、人は品格と誇りを持てて初めて夢や希望を持てるようになる、というやつで、なるほど、的を射た指摘かもしれない。だが「変身」を外見ばかりでなく、内面の充実や成長も含めた意味と捉える西田脚本は、蟹の脱皮のエピソードを用いて以下のように言及する。
曰く、蟹は古い殻を脱いで大人になっていく、表面的には変わらないようでも、一回りサイズも大きくなり、カラダも強くなっている、と。
面白いことにこれは特撮ヒーローが毎回の変身ごとに、身体のみならず精神も少しずつ(変身して闘うごとに)成長していくお約束展開とも重なる点で、特撮ものの変身という毎回訪れるイベントの本質を突いた見方だったりする。

蟹といえば、二人の子どもが描いた蟹の絵を、どっちがいいかと問われた夏目刑事の妻(堀ちえみ)が、「似ている方」とか「かわいい方」とか、それぞれ違った視点で評価すれば、答えは一つに限定されないと間接的に教えるエピソードも、著しく自己卑下が蔓延した(その反動で陰湿な虐めや突発的な暴力など、自己中をこじらせたストレス発散行為が陰で横行する)「品格も誇りも持てない」生きづらさを抱えた若者(に限らんだろうが)を視野に入れたメッセージとも受け取れる。

神林や小春は変わるべきは社会や他者だと考えたが、本気で何かを変えたいなら、まずその気持ちが自分に向かわねば嘘になる。しかしそれをも二人は見越していた(分かっていた)、つまりは思い通りにいかなくて駄々をこねる子どもを演じていた、ということだ。
そんなつまらん暇つぶし、上手くいかなくて当たり前だというようにベラ(杏)に一喝されて、悔しさで言い返すとさらに怒られて、それでも小春ちゃんは大声で本音をぶつける相手ができて、ほっとした表情になり、なんだか嬉しそうですらあったのが印象的だった。
言いたいことはできるだけ言ったほうがいい。あとは野となれ山となれでいいんじゃないか。
小細工しても結局同じところを堂々巡りするだけで疲れるだけだぞ。

柄本明の指の間からこぼれる緑色のスライム状のやつは、悪意増幅装置みたいなものか、それとも妖怪化する薬かなにかか。(毎回のゲストの目に吸い込まれるように入っていくのと、ベムたちの緑がかった視界とを考え合わせると後者な気もするが)


昨日からぼちぼちDVDにて『深夜食堂1』を観始めたところ。
やはり山下敦弘監督回は頭ひとつ抜けてる印象。イイね!