侮りがたし女子力の巻/カーネーション、私はシャドウ、+DOCTORS






本日の『カーネーション』での一コマ。翌日までにパッチ100枚、の無理な注文に応じてくれた見返りとして、客が上機嫌で相場の二倍額を支払い、その報酬の入った茶封筒を、糸子が善作の前へ神妙な面持ちで差し出すと、気持ちだけで突っ走り無謀な仕事を引き受けた糸子の商売に対する姿勢の甘さに、まだまだお前は半人前だと父は苦々しい面持ちを「あえて」作って、ここぞとダメ出ししつつも、おもむろに中味を確かめ、札束の中から紙幣を一枚だけ抜き取るや糸子の前に置く(ただ糸子がその直後の場面である和菓子屋にて「お駄賃」と称するくらいだから、大した金額ではなさそう)くだりに、直ちに連想したのが、深田恭子主演の連ドラ『専業主婦探偵〜私はシャドウ』における同様のシーン。

実質は芹菜(深田)の働きに対する報酬だったのを、探偵事務所の所長権限で桐谷(陣内春樹)が全額を懐に入れた上で、(いくら彼女が具体的金額を知らないとはいえ)、これまたその茶封筒の分厚い札束の中から一枚だけ(確か千円札)抜き取り、芹菜にお前の取り分だと素知らぬ顔して手渡す、いわゆる「ピンハネ」をやるのだ。

糸子も今回のことで自分が仕事に関して全くの未熟者であり、まだまだ素人同然なのだと痛感したのもあってか、金銭のことは父の意向に素直に従うようだし、芹菜も金額に不満を漏らすどころか、初めて働いてお金を得たこと自体に素直に感動し、そこで満足してしまう。
後者はお嬢さん育ちなのもあるだろうが、どちらも金銭感覚が呆れるほどユルい要因は、経済面のことは親や配偶者に任せきりで良かった、そういう無責任な立場が許されてきたがゆえの、誰かの庇護の元にいる者だけが持てるある意味で幸福な鈍感さ、と言えるかもしれない。

とはいえ糸子の場合はあの気性からして、今後はめきめきと社会人として成長していく見込みが高いし、おっとり型な芹菜にしても、第三話にきて初めて、愛する夫ふみくん(と彼女は人前だろうと構わず夫を愛称で呼ぶ)以外の第三者に関心を向け、自ら人助けを買って出たり、夫に対しても、それまでの自分の思いを一方的にぶつけるだけの依存から、徐々にではあるが相手の胸の内の声なき声に耳を傾け、自立した個人として尊重する態度を示し始めたりと、いい感じに成熟が果たせそうな予感はある。

キャラクターとしては似ても似つかない糸子と芹菜なんだが、今後の成長が期待できる意味で、どちらも目が離せない注目株だと思ってる。
深キョン演じる芹菜の言動に一々イラッときて猛反発を示すも、気づけばペースに乗せられてる桐谷(主に芹奈のツッコミ担当)が、視聴者目線を代表してるんだろう構図的に。で、トロ臭い芹奈こと深キョンにあちゃーと目眩しながらも、なんかハラハラ見守ってしまう、で、最後に彼女が課題を成し遂げてにっこり微笑むと、釣られてこちらもほのぼのと嬉しくなり、良かったなあなどと安堵する。何故だかな。不思議である。
芹菜とのシーンで桐谷が毎回見せる、狐につままれたような「腑に落ちない表情」が、しみじみ実感として分かる気がする。

第三話で良かったのは、桐谷が「あいつ(芹奈)が噛んでくる仕事の時は、客から決まってアリガトウと感謝される、こんなことは初めてだ」と不可解半分、苦笑半分の面持ちで呟くシーン。前回、前々回とは趣の異なる芹菜ヨイショがGJ。(視聴者に芹菜のキャラを嫌われては、元も子もないのだから)
配偶者というアカの他人と1つ屋根の下で暮らす大変さを上回るのが、その人を好きな気持ちだと気負いなく自然に答えて、それまでとは夫への接し方を少し変えてみる(一方的な愛情の押し付けを控えて、相手の気持ちを汲もうとする)芹菜の成長が微笑ましくもあり。

本日の『カーネーション』では、糸子の母・千代(麻生祐未)の、質問に窮すると決まってオウム返しになる(使えねえwのツッコミ必至な)返答っぷりと、善作のカミナリを恐れるあまりのカニ歩きが、二度観ても面白すぎて吹いた。

佐藤直紀作曲のサントラが早くも品薄状態らしく到着がおぼつかないので、代わりに作曲が三善晃毛利蔵人の今や神がかった伝説的布陣による『赤毛のアン』サントラを久々聴いて浸ったことだ。(岸田衿子作詞の歌も素晴らしいが、BGMの完成度はため息モノ)

そういえば今週の放映回で、百貨店からの帰りの電車の中で糸子が「明日のことは明日考えよ!」と呟く元ネタが『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラに他ならず、小原の苗字など考え合わせても、設定など直接の影響を受けてるらしいのは容易に察するのだが、そういう表面的な影響だけでない、たとえば通り一遍の記号におさまらない人物観察(描写)の深みであるとか、そこに備わる言い知れぬユーモアであるとか、において、渡辺あやという脚本家が影響を受けたであろう作品中には、必ずやモンゴメリやオースティンなどの作家の作品群が含まれるに違いないと、個人的には見ている。

例えば、11歳の糸子が川で溺れかけ、流される途中で必至に橋脚にとりついたシーンには、同じく川で溺れかけ、流される途中で必至に橋脚にとりついた、これも同じく11歳のアンのエピソードを思い出す、という具合に。
『風と〜』は『カーネーション』の人間観察(描写)力には遥かに及ばない、内容的には大味な作品であり(主要な四人からして表面的な記号キャラにとどまる)、ユーモアや知性の面なら前述した作家の作品群からの影響の方がよほどありそうに思える。

視聴継続中の秋ドラマは(過去記事で触れた以外では)他にも、クドカン脚本の『11人もいる!』だの、福田靖脚本の『DOCTORS〜最強の名医』だの、ぼちぼち観てたりする。
前者には昭和のお茶の間感覚を現代風にアレンジしてみたらこうなりました的な感じを、後者にはひとことで言えば『フォーゼ』(←仮面ライダーね念のため)のテーマの延長線上に一般向けドラマをつくりました的な感じを、それぞれ受けた。

といっても福田靖脚本では『龍馬伝』然り『HERO』然りで、強烈なパワーのある奴が、敵味方関係なく周囲を巻き込んで流れを変える、変革を巻き起こすプロセスが一つの主流としてある印象なのと、最近のトレンド(という言い方は好きじゃないが)がフォーゼの主人公・弦太朗みたく、敵味方関係なく巻き込んで大きな一塊のポジティブに向かう潮流を作る(弦太朗の場合は全校生徒と友だちになる、が目標)方向にあるのとで、まあどちらを向いても最近のは(ドラマに限らず)テーマは被るらしい、が率直な感想ではある。
おそらく来週以降の展開では「最強の名医」沢村一樹も、ドラマの舞台となる病院のダメダメ医師たちを敵に回すのでなく、一緒に病院改革する仲間に引き入れるべく奮闘する流れになりそうな予感。どこまで高嶋政伸がその企みに抵抗してみせるかが面白さの鍵なのか(それでどこまで引っ張れるかは心許ないが)。