父が「降りる覚悟」を決めるまでには諸々の葛藤があるのだ、と思う/カーネーション






小林薫演じる糸子の父・善作の、いよいよ腹括らねばならぬ時が刻一刻と近づいてきている気配に、朝から胸が一杯になった。

木之元のおっちゃんに肩借りて帰宅するなり、上機嫌の酔っぱらいは、だらしなく大の字にひっくり返り微睡みの中。
じきに世代交代のその日がくるのを、これ以上ない正確さで承知している人の、我が身の寂寥を苦笑いで見つめる諦観半分、(なのに)こんな風に往生際悪く足掻いてしまう執着半分、な心中の葛藤が察せられてたまらなくなる。

分かってるんだろうな、非難込めた娘の冷たい視線もおのれの不甲斐なさもなにもかも。
でもやってしまうのだ、どうしようもなく。苦笑

糸子がロイヤルでの洋裁仕事の好調ぶりと、家族を支えるまでに成長した実績アピール狙いで(意図の露骨な分かりやすさが彼女ならでは)購入した電気扇こと扇風機が、父の目の前へこれ見よがしにどんと置かれ、家長の座を真正面から脅かしに掛かるのに、
気ィ悪いな、とぼそぼそ歯切れ悪くつぶやき、落ち着かぬ様子で向きを反対にする善作の心の内は、敢えて口にするまでもなく複雑なのであって、
思うに才能ある頼もしい娘への嫉妬よりは、奇しくも糸子自身がきっぱり宣言した「家族を支えている実感」を、当の家長である自分が認めざるを得なくなる(世代交代の現実を)事態、しかもそれは確実にやってくる、への無意識に働く恐れと警戒から、表面上ではへそ曲がりやヤッカミととれる、自棄に走るような行動をしてしまうんじゃないのか。

自分が一番自分のことをわかっていない(行動であれ感情であれ)のは、善作だけに限った話ではないわけで。

あんなふうにだらしなく酔っ払う姿を日々家族に、なかでも糸子に見せつけて、彼女らにこっそりと呆れただの情けないだのの冷たい視線を注がれていることも、おそらく善作は気づいてるように思う。
それはもうマゾすれすれに、第一線に立ち続けるポジションから脇へ「降りる覚悟」を決めるまでの、苦しい痛みに耐えて(逆に挑むように自ら進んで痛みに身を晒して)いらっしゃる。

まったく父というものは。
肝心なことは口にしないで、自分の胸一つで承知して、だからいざ行動に移すとなると周囲の目には唐突と映り、むやみに慌てさせたり驚きが大きかったりする「必要以上に」(事前にほのめかす気遣いをたぶん期待してはいけないのだ)。苦笑

そういうわけで、ここのところの善作が見せる数々の醜態は、糸子から引導を渡される覚悟を決めるまでの、いわば準備期間のようなものだろうと個人的には見ている。

今週末には、何か大きな(だいたいの内容の想像はつくにしろ)結論が出そうな予感。