女は度胸、男は愛嬌、なんだなあ/カーネーション(47)






◇憎いくらいツボを心得た田中健二演出の妙に、またもしてやられた。
娘・糸子の晴れ姿を、口をへの字にした真顔でしばし見つめた後に、ついと目を逸らす"へそ曲がり"、善作こと小林薫のあの顔に感極まった。とどめ刺された、ええいこれが泣かいでか。

ストーリー全体の展開は思いのほか早いのに、大事なシーンはきっちり立ち止まって、人の単純には割り切れないフクザツな感情のひだを、カメラが丁寧に追っていく。

人間というものを承知している作り手による、メリハリの効いた配分の技がなんとも心地よく、映像にゆったり気持ちを委ねていられる、その安心感たるや。本作最大の美点といっても過言ではない。
(今まで漠然と抱いてきたTVドラマのそこそこ感を見事に払拭し、さらなる深化の可能性を示した画期的作品なだけに)

◇糸子が用意された花嫁の席に無事収まれば、もうそれで、誰も野暮な詮索などせず、「各々の個性を反映した」温かい眼差しを、遅れてきた花嫁に注ぐ。
なんといっても彼女の門出を祝うために、めいめい集ったのであって、主役は糸子(と勝)なのだから、彼らが納得していれば祝う方とて何ら問題ないのだ。
シンプルな「おめでとう」の気持ちが、自然に皆をやわらかな笑顔にするのがいい。

その自分に向けられた笑顔を一つ一つ受け止め、同じく笑顔で返す糸子の、表情のバリエーションが、直接の言葉を交わさずとも、確かなアイ・コンタクトの成立を物語っている。
たがいの眼差しの交換で、言葉以上に豊かな会話が、そこに成立している。
その奥行きと余韻に、魅せられる。

◇勘助に、部屋の下座で即席の素人芸をやらせ、列席者の注意をそちらに逸らせた隙に、さりげなく花嫁を上座の定席につかせる、奈津の細やかな采配も憎い。
ちゃんと部屋に入る前に、ふすまを少しだけ開けて、皆の注意が下座へ注がれてるのを確認する抜かりなさは、さすが若女将、分かってらっしゃる、と密かに拍手。

父親の突然の不幸で、一度も袖を通さぬまましまい込んだ白無垢を、自前の持ち込みを忘れたうっかり糸子が着ることになり、だがそれは迷惑どころか、逆に奈津は嬉しかったんではないか。
「アンタの祝言を(ウチでなく)余所で挙げたら承知せん!」と息巻いた心情から察するに。

糸子へのブタだのサルだの愛ある暴言は、柄にもなく、腐れ縁のライバルを助けている自分への照れ隠しと、洋裁の仕事以外となると、途端に身の入らない(のであり得ない凡ミスwを平気で重ねてしまう)糸子に、「あんたなにやってんの!」とヤキモキする気持ちとの複合、というところか。
(だから奈津の暴言を誰も気にしてない、乱暴な言葉は本音を隠す仮面であり、彼女の本音は別なのを、皆とうに見抜いているから)

◇本音といえば、いつまで経っても糸子が現れず気が気じゃなかったろうに、そこはやせ我慢で「泰然自若に構える父を演じ続けた」善作の気配りが、また泣ける。
おそらく千代から納期の迫った仕事の件を伝え聞いていただろう、であるなら、こちらがバタバタ浮き足立って騒いだとて、あの洋裁命!な娘が仕事を途中で放り出して来るわけもなく、また無理やり来させたいとも思わず(同じ商売人として一定の理解はあるから)、あいつは必ず来るから、こちらから迎えに行く必要なし、との態度を父は貫いたのだろう。
善作と視線を交わした時点で、他の皆には元気に微笑み返してた糸子が、初めて涙ぐんだのもわかる気がする。


◇ミシンを踏む糸子の前を、勝(マサル)が通り過ぎた後で、少し遅れて糸子がスン、と鼻をすすったのが、やけに印象的だったんだが、
何気なく洗濯かごの中から男物パンツを取り出した時の、初々しい戸惑いと併せ、父親を除けば女ばかりの環境で育ち、さらには父から続く商売柄もあって、男という生き物への免疫のなさから、未知なる匂い(体臭とか)を敏感に嗅ぎとり、反射的に出た動物的な仕草だったとしたら、ちょっと唸ってしまう。
演出の妙なのか、オノマチの感性の賜物なのか、どちらにしろ、僅かな仕草からにじみ出るリアリティには参った。

◇糸子に布団別々に敷かれても、特にこだわる様子なく、のほほんと「忍術大ちゃん」(当時の少年雑誌かw)読んでる勝の、常に変わらぬおっとりした佇まいが、頼もしいやら何やら。
「女は度胸」「男は愛嬌」、のほうが説得力あるからなァそもそも。
明日以降も今日の調子で、なにげに内助の功を発揮してくれそう。好男子の見本のような人だ。