手の抜き加減にプロの技あり(by大野松雄)&カーネーション雑感







◇音響デザインの第一人者、大野松雄のドキュメンタリ『アトムの足音が聞こえる』をWOWOWにて。
手抜きが手抜きに見えないのがプロ、との言に思い出すのが、仮面ライダーBLACKの演出で初めてその手腕を知り注目した(個人的に)小西道雄監督。
全編まんべんなく力を注ぐより一点集中主義で、ここぞというワンショットに、岡元次郎ブラックをこの上なく格好良く見せる画ズラが挿入されていた。その視聴者の興味を見通したようなメリハリの付け方が面白いなと思っていた。
そのワンショットがあるだけで、たとえその他多くがバンク映像で埋められようと、満足度は保たれるものだ。
まんべんなく平均点の無難さを目指すより、断然一点集中で勝負を賭けるほうが、確かにより視聴者にアピールする度合いは強い。
どれだけ視覚に訴える、また心を掴む映像を提供できたか、の総合評価だから。手間には限界あるから効率よく持てる力を配分する、それを上手くやるのがプロ、ということかと思う。


◇『カーネーション』(46)、昼の放映も併せ二回も観てしまった。
奈津には自分自身のことで、また貞子(糸子の神戸祖母)には娘(千代)のことで、それぞれ果たせなかった祝言というセレモニーへの心残りだの未練だのが、祝言の主役たる糸子が面食らうほどの過剰な入れ込みようとなって表出する女心のいじらしさが、微笑ましくも切なかったり。
ただ千代の場合、夫の善作とは好き合って一緒になった仲ゆえ(たとえ駆け落ち同然の経緯であったにしろ)、祝言への過度な幻想は前述の二人ほどには持ってない、という違いがあるのかもしれない。
十分に満足してるようだし善作の妻の座に。
未だに堂々乙女チックモードにどっぷり浸れる感性(山口くんや川本くんが訪ねてくるたび、一人で妄想を暴走させてはしゃぐ♪とか)が何よりの証拠だろう。
意外と糸子のマイワールドを図太く展開する逞しさは千代譲りに思える。(善作の繊細さは意外でもなんでもないが、←本日も全開!でしたな)

◇一見すると目立たない、貞子とハルの祖母対決の微妙さがなんとも。
本来なら千代の嫁ぎ先であり、糸子が長子として籍を置く小原の家に遠慮して然るべきところを、なにぶん苦労知らずな育ちのまま歳を重ねた貞子ゆえ、天真爛漫にその場を仕切り、ハルの立場を気遣う素振りはない。
ハルの気持ちは、絢爛豪華な打ち掛けを見に来たご近所さんに、明るく漏らした一言に集約されている。曰く、(孫かわいさで舞い上がる貞子の気持ちが理解できるから)ウチもよう文句言えなんだ、と。
昔の結婚とは家と家との結びつきが重要度の最たるものだったから、今の感覚より遥かに貞子(と嫁いだ娘である千代)の、ハルの前で松坂家の力を見せつけるような振る舞いは、出過ぎた感が強かっただろう。
夫の清三郎に指摘されるまで、孫の婿となる家との釣り合いにまるで考えも及ばない、無邪気な永遠の少女の心を持つ(この性質は見事に千代にも受け継がれている)貞子らしいエピではある。
こういう場合の、とりあえず場を丸く収めようとするハルの気配りは、善作に受け継がれていたりする(と見ている)。
前述の貞子と千代、千代と糸子の場合も含め、親子の相似が実に面白い。

◇わざわざ再見したわけじゃないが、昨日の下駄の件をさらに考えるに、昨日は勘助の自転車の荷台に一旦乗っかった下駄が激しい横揺れで落ちたのを拾ったのかと、チャリの後ろに素早くしゃがんで立ち上がる糸子の動作から想像したんだったが(ちなみに足元は映らなかったので想像の産物でしかないが)、あれは、もう片方の下駄を脱ぐためにしゃがんだのかもしれない。
いっそ両方脱いだほうが追いかけやすいし(と糸子なら咄嗟に思いついても不思議じゃない)。
ああ、それで勘助んちこと髪結いの安岡さんちの、玄関の上がりに腰掛けるだけで部屋には上がらなかったのかも(足裏が汚れていたから)。笑