嫌いたかったらなんぼでも嫌うてくれ、と彼女は言った/カーネーション(56)






八重子さんが、義母(安岡のおばちゃんこと玉枝)と糸子のこじれた仲を取り持とうとして、板ばさみ状態だったのが気の毒だったが、ある程度の冷却期間を置くしかないもんなァ、それでも修復不能なら諦めるしかないけれど。
人の気持ちは思い通りにはいかないから。

糸子の言じゃないが、嫌いなら嫌いで仕方ないんじゃないか。無理して作り笑いで付き合いを続けても、(たとえ勘助の二階から飛び降り云々のショッキングな顛末がなくても)衝突は避け難かったんじゃないかな。
家業が立ちゆかず、借金払えるあてもなく、そこへ次男の心配まで重なり、玉枝さんの精神状態は最悪だったみたいだから。
昨日の罵倒の、人格否定まで飛び出すアンフェア感はたぶんそのせいで、結果的に糸子が格好の鬱屈の捌け口になったところはあったんではないか。むろん主なる動機は息子を守りたい母心と思うが。

悪気のない、どころか元は善意からの失敗で、存在そのものまで否定されることの精神的ダメージは如何ばかりか。
好ましく思い親しくしている人から「持って生まれた性格を理由に」、ある時を境に突如として拒絶されてしまうのは、糸子でなくても誰であっても、辛いことだろう。

さすがにぐったりと気力なくして落ち込んでいたのが、コントみたいなベタな階段落ちを契機にあっさり立ち直る糸子の、熱血青春ドラマみたいな、殴り合うことで気心通じて問題解決!の流れに通ずる後引かない淡白さを見て、大いに笑った(痛快すぎる)し共感も覚えた。
そうそう、ウジウジいくら悩もうと、自分を成り立たせるコアの部分は変わらんのだから、そこは(誰に変えろと要求されても)無理!と吹っ切るのが肝要。

だがいくらさっぱりした気性といっても、旦那のことまで「(詮索する暇ないし)めんどくさい」、だから「どうでもいい」と割り切るに至っては、さすがに気掛かりになってくる。夜釣り疑惑も浮上するわで、大丈夫か。
紳士服の仕事がなくとも(婦人服の注文が途切れない妻に対し)僻みや妬みを持たないのが勝の良さだと褒める糸子だが、ちょっと待て、あの気配りに長けた優しい安岡のおばちゃんですら、仕事激減が気持ちの余裕を失わせ、それが勝ち組糸子への批判動機の一つだったろうことは察しがつくのに、
いくら勝の性格が良かろうと、家長たる男が仕事なしの状況に長く置かれる辛さの捌け口を、別の何かに求めてしまう危惧すら持たないのは、勝という(男以前にまず)人間をちょっと見くびり過ぎでは。気づけ!糸子。


お客の満足を第一に考える姿勢は、商売人としての矜持と誇りに関わる最も大事なスピリットだと思うが、これまでそこが一度もブレたことのない糸子は、やはりその道で一流と讃えられるだけのことはある人なのだ。
相変わらず大胆な値引きグセは続いているようだし、少しでも品質の良い布を仕入れたがるし、だがそれもこれも、お客の喜ぶ顔みたさについ頑張ってしまうからだ。
ある意味でこれ以上ない真っ当な商売人、とも言えるんじゃないか。
お客さんも満足し、自分たちの生活も成り立つ、この理想こそ商売の真髄だろうから。


お客から受け取った配給切符を、専用シートに貼り付ける作業を任せられた善作(作業前に老眼鏡かける仕草に「もうそんな歳か」としみじみ)。
見るからに細かい仕事が得意そうだもんなぁ、ってこれは演じている小林薫に思うことだが。
筆の先に水で溶いた糊(かな)をつけ、それでシートをなぞったところに配給切符を載せ、上から小指で押さえる手つきがなかなか堂に入っていて、その気抜けするぐらい穏やかな風情にぼんやり微笑みつつ、なんとなし寂しくもあったり。
親父の咆哮はもうないのか、二度と聞けないか、善作よ、親父よ。