目を開けたら、雪が降ってました/カーネーション(59)






夫への浮気疑惑から妄想に次ぐ妄想を経た果てに、男という性全般への批判に発展する糸子の憤慨を、幼馴染・奈津のクールな応対が鎮め、ラストに泰蔵登場で、「男全般」を対称とした批判がみるみる説得力を失うオチまで、妄想コメディから降る雪を小道具に使った情緒へと、鮮やかに転換させた15分。
オカンムリな糸子には悪いが、コメディタッチな妄想ショット連発には笑い止まらず。

大雑把な紋切り型判定で、目の前にいる血の通った個人は裁けない、ということ。
男というものは、の批判には必ずや、女というものは、の言及が続くものと心得るべし。
互いの不完全を指摘し合っても糸子のように愚痴になるだけ。奈津がうんざりするのも道理だろう。

そんな個人の私情の都合で煽ってくる対立構造に、易々と乗っかるほど暇じゃないと言わんばかりに、そんなん知らんわ、ピシャリと撥ねつける奈津のツンデレぶりは頼もしい。
並みの女ならここぞと互いの傷の舐め合いで、旦那の(そして男全般の)悪口大会に発展しそうなところを、奈津流の「あほらし」と言いたげな態度で、糸子のいまさらの愚痴をまともに取り合おうとしない。
芸妓と逃げた旦那のことなど、蚊に刺されたほどにも気にしてない、と(たとえ本心ではプライド等がズタズタに傷ついていようと)はっきり言い切る意地と心意気。
またそれでいい、それがいいんだと糸子自身も内心では承知してる。
陰湿さの欠片もない、サバサバした女の友情が気持ちいい。格好いい。

本日のを観る限りでは、勝の浮気が本気に発展したとはとても思えなかった。
やはり(浮気は)ほんの気の迷い、でたぶん正解だろう。
男の浮気の一つや2つ、と当の男がうそぶくのは、確かに往生際の悪い自己弁護にして開き直り、と指摘されても反論しようのないことではある。がウチら女はと、反動で女をやたら美化したがる言動が始まると、またまた適当なことを勢いで言っちゃってないか?と、勝じゃなくともニヤニヤ笑いで突っ込みたくなる。
敵の敵は味方などという発想で、利害の一致からほいほい団結するのは、女だとてさして変わらんのでは。
糸子や奈津のような一人で立っていられる気持ちのいい女なんて、間違いなく少数派だろう世の中的には。
陰口と噂話が三度の飯より好きなタイプは、時代を問わず少なくない。現実がシビアだからこそ余計に、糸子や奈津みたいな女が一服の清涼剤のように視聴者の目に映る、というのも或いはあるかも。

いつもの川辺で泰蔵兄ちゃんとすれ違った時の、たまらず目をぎゅっと瞑った糸子の辛そうな表情に、自分から心が離れた(と彼女としては思い込んでる)のは夫・勝だけでない、疎遠となって久しい安岡家の面々もそうだった、との苦い思いが過るのを感じ、
ふと仰ぎ見た空から降る雪の冷たさ白さへ、彼女と共に想いを馳せる心持ちになった。
おばちゃんも勘助も八重子さんも、心かき乱されることなく、平穏無事につつがなく、少しでも安らいで暮らせているといいなあ。