善作のことが気になって仕方ない/カーネーション(60)






今回は糸子の独白ナレが多めだった気がする。
夫・勝への複雑な思いの吐露にしろ、安岡家への配慮にしろ、とうに察しがつくものではあったが、朝ドラ視聴者層の幅の広さを考慮し、念には念を入れ誤解なきようダメ押しした、というところか。

国防婦人会のオバハン方の、実体のない残酷な美辞麗句に少しの疑いをも差し挟むことなく、ものの見事に洗脳され、調教された結果の「(勝/出征した夫は)死んでお国の役に立つべき」「(糸子/銃後の妻は)遺骨になって戻ってくるのを願うべき」発言に、怒りも呆れも通り越し、背筋が寒くなった。もはや怪しげな新興宗教の狂信者と何も変わらんぞ。

ものの考え方感じ方の多様性を認めず、自らの信じる正しさに同調せぬ者の存在そのものまで徹底的に潰したがる排他傾向は、今の時代も形を変えてあちこちに見られることではあるが、愚かしさも人間のうち、などとしたり顔で開き直るような、厚かましい根性にだけは成り下がりたくないもの。
愚かしいこと、つまり間違いは誰にでも起こり得る。ゆえに間違い自体を責めるのは生産的ではない。ただ、どう間違えたかを冷静に検証すれば、次に活かせる「経験」となる。それが最も大事なことと思う。

仏頂面がトレードマークの木之元の奥さんが、めずらしく糸子に示した、朴訥とした厚意とたどたどしい笑顔に和んだり。
縫い子のりんちゃんの顔に、風吹ジュンを思い出したり(直ぐに名前が出てこず、しばし真剣に考えこんでしまった)。

軍隊経験者の善作のみが、勝の軍隊での処遇を案じるのとは対照的に、雑煮の餅をお椀からびよーんと伸ばして食する千代の、大抵のことには独自のテンポを崩さない暢気さが救いだったり。

幻となって浮かび上がる勝の背や頬にそっと手を当てる、本日の糸子のシーンや、昨日の妄想連発ショットなど、今週の演出には、糸子の主観を巧みに映像にしてみせた印象がある。特撮やアニメ等の影響を下地にもつような映像センスとも。
漫画ちっくな平面表現も得意そう、とこれは個別の持ち味というより最近の全体的傾向かもしらんが。

しかし善作の身に起こった不慮の事故で「続く」とし、来週まで引っ張るとは何たる罪作りな。気になって仕方ないではないか。
予告での「おとうちゃん、行かんといて!!」という糸子の絶叫が、いつまでも耳について離れない。
顔中のぐるぐる包帯巻きショットとかも。うう困った。