カーネーション(64)走り書き






後からそれなりの形にまとめようと思いつつ。とりあえずのメモ。


お父ちゃんの居たたまれなさ肩身の狭さは察すれど、ショボいレベルのええカッコしいには違いない、だがそれほど世間の目が厳しかった(おのれの不始末から被った火傷で、傷病兵と同じく通院するとは厚かましい等々)ことの反映でもある。
年若き傷痍兵と我が身を引き比べ、彼らに申し訳ないと気詰まりを口にする、いかにも善作らしい繊細さを、痛々しくも微笑ましく眺めていた。

木岡のおっちゃんは、気に病むなら真実を言えば済むことと笑うが、善作にとっちゃ至難の業なのは想像に難くない。
いみじき庶民感覚(しかし何にしても気持ちの優しさが最大の救い)に人となりが露見する。
善作の他愛ない嘘の裏に隠した、身の置き場のない引け目や後ろめたさは、紛れもない真実なのだから。市井の庶民なりの、こんな小さな(でも当人には切実だろう)苦しみもあったのだ。

八重子さん、この人の優しさ、思いやりの示し方は、いつの時もまっすぐで潔かったが、本日の、思い切ってモンペ教室に飛び入り参加し、夫・泰蔵の出征の見送りを共にしてくれるよう、義母・玉枝絡みのいざこざで気まずい筈の糸子に対し、心を開いて頼み込む、という高潔な人柄にはほのぼのと胸打たれた。
玉枝の気持ち、勘助の気持ち、糸子の気持ち。どれも分かるからこそ、ギクシャクした仲を取り持とうと苦心し、八重子本人とは直接関係ないのに、身代わりのようなキツイ拒絶を、浴びせられた。かといって誰を恨むでなく、機会があれば再びの勇気を奮い立たせて、糸子にその真心をまっすぐにぶつけてくる。

そんな尊敬に値する友が、あの時の拒絶に怯まず、再び差し出してくれた手に、感激の涙を流す糸子。
よほど当時は動揺を押さえるのが精一杯で、友の優しさに応える余裕がなかったのが窺える。
きっと八重子に示した拒絶を一番許せなく思っていたのは、誰より糸子自身だったんだろう。
(八重子は基本根に持つタイプじゃなさそうだし、糸子の口に出さぬ本心を見抜いていただろうから)