親子鷹、ならぬ鳶、でした/カーネーション(65)






視聴中も視聴後も、実に困ったことに、気づくと涙ぐんでいる。
感情を思いがけず揺さぶられた、いうなれば一種のショック状態から、なかなか抜けだせないでいる。

記憶の中のショットの残像や台詞の切れ切れが、ふとした拍子にありありと思い出され、急に喉が詰まって呼吸が苦しくなるような心地に襲われる。

親子鳶のくだりに、すぐさま連想が繋がったのは、記念すべき第一回放映分の冒頭、まだ暗い早朝から近所の男たちと連れ立って、だんじり祭りの任に赴く父の背中に、玄関から往来に勢い飛び出してきて、精一杯手を振り、ピョンピョン飛び跳ねながら、行ってらっしゃいお父ちゃん!と大声で繰り返し呼びかける、幼い糸子の姿。
その小さな体から、お父ちゃん大好き!な気持ちがはちきれんばかりに溢れ出ていて、もうそれだけで胸が一杯になったものだ。

いつもの土手の道を、木岡のおっちゃんが引くリヤカーに乗せられ、糸子の付き添いで、はるばる心斎橋の病院まで送られる善作。(これも仕方なきこととはいえ、相当に屈辱的仕打ちだっただろう、誰かの世話にならざるをえない我が身の不甲斐なさにもんどり打つような内面が、まるで透けて見えるような気すらする)
鄙びたような黄昏色の日差しを浴びながら、思うようにならぬ惨めな身上のやるせなさを持て余し、空を仰いだ善作の目に留まる鳥の影。
鳶・・・、ふとそう漏れた呟きを受けた娘が、ほんまや、追っかけっこしてる、あれは親子やな、などと返すや、父はしみじみと目を閉じ、言葉にしえない万感の思いに沈む。

これが泣かずにいられようか。娘曰くの、大丈夫、ウチが絶対直しちゃる、何が何でも元の元気でやかましいお父ちゃんに戻しちゃる、の健気なる決意が、さらに拍車をかける始末。

通っている医院の先生が言った、虫でも病気でも、悪いもんは必ず弱いところへ寄ってきよる、の「弱い」が自分を差すことに、どれほど善作が傷ついたか、心に痛みが走ったか、ちらちらと表れる歪んだ表情を見ただけで、手に取るように分かってしまい、我が事のように辛かった、苦しかった。

泰蔵兄ちゃんの出征にも義理の息子・勝の時と同様に、わざわざ国民服を着込んで最上の敬意を示そうとする善作だからこそ、喫茶店太鼓(元カフェ太鼓、ですなあ)までリヤカーに乗らず、無理してでも自力で歩いていこうとし、泰蔵に何があったのか問われたら、火傷の真相(自分の不注意からのボヤ)を正直に話しもする。
だいたい人助け云々は、風聞として流すつもりでも、よりによって兵役者に対し直接言い訳まがいに嘘付く予定はなかったはず(善作にそこまでの「図太さ」はない、良くも悪くも)。
悪気のない木之元のおっちゃんが、機転を利かせたつもりで傷病兵に語る嘘の説明を、横で聴いている善作の顔は、身の置き場のない情けなさ、そのものだった。あれはそういう男だもの。

昨日述べたとおり、彼は自分のエゴ優先で誰かを踏みつけにしてまで、見栄を張りたがる男とは違うのだ。
きちんと他者を気遣える、心の豊かさ繊細さが、善作にはあるから。完璧なデキた人間じゃないところが、逆に好感なんだ。

ああまた思い出すと堰を切ったように切なさが溢れ出す。
善作しっかり。そして糸子よ負けるな。