変わるもの、変わらぬもの、変えてはならぬもの(2)






そして本日のカーネーション(71)感想に続く。


冒頭に登場した澤田さんへ糸子と同じく無言で合掌。
せめて自身の辛い経験から、戦意高揚の片棒担ぐ虚しさに気づいてくれたら、目を覚ましてくれたら、と願うばかり。
まさか逆に、ヘンなスイッチ入って以前にも増して熱心になった、なんてブラックなオチでもなかろうと信じる。(爽やかさが身上の朝ドラで、そこまでエグイのはちょっと)

そしてこの昨日と今日とで連続した、オハラ洋装店の前を通る、戦死者を悼む葬列の描写から、それが頻繁に見られる光景であり、もはやありふれた日常の一部となってしまったこと、が伝わってくる。

さりげなく安岡家の廃業が語られたが、おばちゃんや勘助のことが、いよいよ気掛かりでならない。
泰蔵兄ちゃんが出征した今、金銭面も含め、安岡家を支えるのは八重子さん一人の肩にかかっているという重圧はいかほどか。そんな彼女だから、同じく苦しい孤軍奮闘を強いられた奈津の気持ちに、誰より寄り添えるんだろう。
言わば二人の違いは、他者に相談できるかできないか、の心理的壁の高低の差だけ。ただその差が命運を分けた。八重子さんも糸子の助け(従業員として来てもらう配慮)がなかったら、今頃は途方に暮れていただろう。不器用な奈津。どこ行っちゃったんだ。

糸子は心配が極まると怒り出すのがパターン。ここにも既視感が。(小さな糸子が、年長の男子から売られた喧嘩を買った挙句に、川で溺れかけた顛末の際の、善作の本気入った、糸子が吹っ飛ぶほどのキツい張り手は、もちろん「娘を心配するあまり」にあそこまで「激しく怒った」んであった ←反動で後からものすごく気にしてたw)

吉田屋の、かつて糸子が祝言挙げた部屋の変わり様に驚き、寂しさを感じるとともに、奈津の窮状があの場の風景に凝縮されているようで、いたたまれない気持ちになった。
奈津が精一杯虚勢を張りたがるのもわかる気がする。あの格好つけの奈津が。惨めな自分を見られるのは辛かっただろうに。

ところで本作は、脚本と俳優が優れているのに加え、美術と照明の技術力の高さ、センスの良さ、が決め手だと感じている。カメラワーク含めた演出にはバラツキがあるので、総論でまとめるのは強引すぎだろうとも。(正直なところ絶賛まではいかないかも最近は ←また本音バラして申し訳ないが)

糸子と昌ちゃんの息のあったやり取り、吉田屋の購入をめぐる攻防戦には笑った。
昌ちゃんがきっぱり駄目ですと拒絶し、コレで決まりかと思いきや、最後の最後で、背後から糸子がニッと笑うや昌ちゃんの肩を叩き、堪忍な!と一言いい捨て、そそくさと奈津の元へ向かうべく往来へ飛び出すのには、たまらず吹き出した。
後ろから昌ちゃんの悲鳴に似た、せんせえ!の声が空しく響く。
昌ちゃん残念。聞いてないから全然あの人。わはは。