ふたりの父/平清盛


なんと。今年は大河ドラマにも嵌りそうで、いよいよNHK発の映像作品贔屓に傾きそうな予感が。

朝ドラに端を発する、NHKドラマ部門の質が向上していることの、驚きを伴っての実感は、今年の大河ドラマにも例外でなかったらしく、事前情報の段階から注目してはいたが、期待以上の本気度を観られて満足この上なし、こちらも朝ドラ同様、難なく一年通しての視聴が可能な気がしている(現段階では)。

尤もらしさをキープしながら面白さを第一とする、間口の広いエンタメ狙いに徹した脚本の、「分かってやってるベタさ加減」の、下世話だがチープに落ちない見極めのバランス感覚がいい。
大衆受けするツボを心得た強みで、ナレや台詞のおおっぴらな説明口調も、演劇的要素の濃い(ここぞと聴かせるような芝居じみた)長広舌も、その先に求める面白さへの期待で押し切れてしまう。細かいことはいいかと流せてしまう。
全てに通じる決まった(膠着した)セオリーなんてものは無いということだ。
その他にも、衣装や美術のこだわりようや、適材適所に配されたキャスト陣、など楽しめる要素に事欠かず。
カメラワークなど演出にも好感触だった。

放送前から公式サイトにて、人物デザイン担当の柘植伊佐夫の仕事ぶりに魅せられていたが、衣装の色の重ね方合わせ方や、生地の質感の出し方見せ方の工夫が、動く映像で確認するのと動かないフォトで想像するのとでは、少し違ったように見えたりして興味深い。

OPの映像と音楽のまるごとで魅了された大河は、もしかすると初めてかもしれない。
草木の「緑」の中で、天真爛漫に振る舞う庶民階級の童子らに自然美を、貴族階級を想起させる「金」箔散る中で、優雅に舞う白拍子らに人工美を象徴させ、それらをマツケン清盛のぴりっと緊張感ある「赤」と「黒」で繋ぎ、最後は「金」(人工)色に輝く夕陽(自然)を背景に清盛を捉えることで、彼に両者を融合させるイメージを持たせている。つまり本作が清盛を、両方の血の混じり合ったハイブリッドな存在として描こうとしているのが、OPの時点ですでに視聴者に伝わるように、察しがつくようにこだわって作られているわけで、並ならぬ力の入れようには感嘆させられた。

さらにOPでの、緑や海岸などの自然の只中を、幼い清盛が疾走するシチュエーションが、第一回の(序文的位置づけたる頼朝パートの次にくる)冒頭部分、清盛の生母・舞子(吹越一恵)の命からがらの逃亡劇による疾走にて繰り返されている点にも注目したい。

音楽もいい。ピアノやストリングスの響きが、画面上に展開する無骨な荒々しさを巧く中和して、情感を添える手助けをしていると思う。
忠盛(中井貴一)と舞子の精神的距離が接近する馬舎シーンで流れる、柔らかな丸みのある音色に惹かれた。

柴田岳志演出で印象的だったのが、手前斜め高所からの俯瞰アングル。
結構高い位置から見下ろすように撮ったショットが何度か挟まれていた。
あと海岸につけた画面奥の小舟めがけて平太(=子ども時代の清盛)が走っていくショットの、カメラワークの疾走感とか、同じくススキ野原を掻き分けるようにして、カメラ自身が目となり突っ切っていくショットも良かった。

また情感の、ベタなまでの効かせ方にも好感で、野原を吹き渡る風にしなるススキが、一斉にザーッと大きな葉ずれの音を立て、光を受けてきらめくさまに魅了された。
その無常の自然に一人抗うように立ち尽くす忠盛が、腕の中の不憫な赤子に「平太」と繰り返し、生きろと励ますように、その命を温かく包むように呼びかけると、赤子もニコと無垢な笑みを返すのにも。

愛する女(舞子)に託された赤子を、その陰惨な殺戮の場で抱きしめる他ない忠盛の、苦悩と苦痛を表現したわけでもなかろうに、まだ20代らしき青年の、髪に白いものが混じって見えるのはマズイと思うんだが、あれは土スタ出演時に中井貴一自身が明かした、コーンスターチの弊害なのか。(量が多すぎては台詞を言うにも難儀すると、キャスト陣の代表となって、何度かスタッフと直接交渉したんだとか)

平太の可愛がっていたミサキ丸なる白犬の突然の死は、それを平太が知った直後に、忠盛が叱咤激励する台詞、お前はまだ弱い犬にすぎない、死にたくなかったら強くなれ!、にスムースに繋げるための一種の取っ掛かりエピだったらしい。
そう言い捨てて、育ての父(忠盛)が力任せに地面に突き立てた剣を、エクスカリバーよろしく平太が引き抜く、という行為に、自らの力で意思で自らの運命を選択した、との意味合いを重ね一回目のシメとした展開に、今後の盛り上がりへの期待がもてそうに思える。

藤本有紀脚本の、今回の忠盛に見る男子の理想像の描き方は、女性視点ならではの(現実にはなかなかいそうにない)異性へのファンタジックな願望が見え隠れするようで、ちょっと面白くもあり。

たとえば白河院の命に真っ向から背いてまで、愛する女を庇い助けようとする直情行動や発言を、いくら20代の人生経験浅き青年とはいえ、将来一族の長となる出自の男が、後先もろくに考えず激情に任せて墓穴を掘りかけるなど、もはや誰が考えてもファンタジーの範疇でしか無いんだが、「あえて」その「おとぎ」をやる、古典芸能にも通ずる、ネタの新味より語りのテクで魅了しようという本作の方向性を、個人的には評価したい。
待ってました!と声を掛けたくなる威勢のいい啖呵や決め台詞で、視聴者を熱狂させ、やんやの喝采を送らせるような、歌舞伎的エンタメ精神が見られるのを、どこか期待しているところがある。

ところで頼朝役の岡田将生によるナレは、技術云々はともかく声自体は嫌いじゃない。耳にヘンなストレスを感じさせない(←変わった声が悪目立ちする場合の典型がこのパターン)、心地よく響く落ち着いた声質は貴重だと思う。
ナレーションの技術は努力次第でいかようにも向上しようが、持って生まれた声質というのは、そうそう劇的に変わるものではないから。

特定の役者というより全般的に、アイラインの引き方がわざとらしいのが気になる。
顔のアップ時には妙にそこに目がいってしまい(落書きしたみたいにくっきり線が浮いて見えるので)、がっくりとテンション下がるのが困りもの。
時として(さしたる展開上の必然もないのに)中井貴一の顔色が青黒く、というのか死相が出た人のよう、というのか、非常に顔色が悪く見えたのも、考えてみれば不可解ではあった。
どれもメイクの問題じゃないかと思うんだが、どうなのかな。