かつて私が《言葉》で伝えようとしたことは一度もない


巨匠たちの“青の時代”
スタンリー・キューブリック(映画監督)
俺の眼を見つけた!


先月録画したまま未見だった、シリーズ巨匠たちの”青の時代”、キューブリックの回を、ようやく視聴。
タイトルは番組内で紹介された本人の弁によるもの。
写真雑誌の専属カメラマンから念願だった映画監督に転身し、いよいよ映像で語りたい大望を募らせ、その決意と気概を生涯一徹に貫いた人の、実績と自信に裏打ちされた断言だけに、耳に清々しい説得力がある。

キューブリックによる『突撃』や『シャイニング』でのステディカムによる移動ショットが、如何に当時画期的だったかへの言及に思ったのは、映画に惹かれ始めた初期にキューブリック作品にハマった個人的経験の蓄積が、特に意識せずとも、例えば『カーネーション』のカメラワークを映画と並列に語られることへの、微妙ながらもハッキリした違和感となって立ち現れるのではないか、ということ。
大体わざわざキューブリックを持ち出さずとも、映画の移動ショットが意図的な狙い以外で、フレーム自体からゆるゆると不安定に常にブレ続ける、なんてことはまず論外というしか無いから。

最初に撮った映画(ドキュメンタリーフィルム)が最近見つかったとのことで、番組内で少し流れた(一般には初公開になるのか)のも貴重だった。
その『 DAY OF THE FIGHT(拳闘試合の日)』(1950)で彼が心掛けたのが、ボクサーの心情とリンクする「時間の表現」であり、そこから独自のスムースかつ滑らかな移動ショットの手法が、半ば必然的に生まれたのだという。
写真は一瞬を切り取るが、映画は時間の流れを表現できる、そこにキューブリックは強烈に惹かれたらしい。

自宅のブロンクスからマンハッタンのMoMAニューヨーク近代美術館)に通いつめ、ドイツやフランスなど名だたる世界の最先端映画(※イコール最新作、ではないので念のため)に触れることで、持ち前の映像センスに一層の磨きがかかっただろうことは今さら疑う余地もない。
ところで毎回10セントの投資と言っていたのは、交通費(地下鉄代)を指してだったか、それともMoMAの入場料か、その辺は(たまたま聴き落としたらしく)ウロ。

番組中で紹介されたキューブリックの言で、極めて痛快だったのが以下。

映画を作るにあたって
最も自信を与えてくれたのは
過去にみてきた《ヒドイ》映画の数々だった
アレより良いものを
作れることだけは確かだ

ついでに加えるなら、過去の映画ベストなんちゃらの常連みたいな、世間が不動の名作扱いする作品にも、意外と《》内の評価が頭をよぎるものが少なくない、というのは、しがらみ無縁な一個人の率直な実感として、実はあったりする。おそらくはキューブリックも、それら胡散臭い権威づけを視野に入れての毒舌だったんじゃないかな、なんて。