愛する力/カーネーション

久々のカーネーション記事。
本作における渡辺あや流イイオトコの典型たる周防龍一(綾野剛)の登場に加え、ドツボに嵌ってた両者、奈津及び安岡のおばちゃんこと玉枝の、祝!復活の明るい兆しが嬉しく、週末のまとめ感想として、こちらも復活してみた次第。

過去記事で触れた勘助や太郎のみならず、実は泰蔵も善作(ですら)も、女(多くは主役の必然から糸子)に対し、ストレートに言葉で伝える以外の、遠くから(気づかれない「陰ながら」のポジションで)見守る系の、優しく繊細な気遣いを示すのが共通していて、そのことは渡辺脚本がチャラチャラと言葉を取り繕う以前にまず行動で示す「奥ゆかしき男」をこそ、格好いいと見ているからに他ならないのだが、
周防もまた、見た目の落ち着いた深い声質と態度、ゆったり構えた自然体の立ち居振る舞いを裏切らない、しんと澄んだ眼で率直に語りかけてくる柔らかな魂の持ち主として、ひっそり陰ながら愛する者を支え守るタイプに描かれている。
(二階から木岡&木之元と談笑する糸子を微笑ましげに眺めていたり、ハンドバックを振り回す奈津の反撃から身を呈して糸子を庇ったり ←下手に奈津を止めないのがポイントで、自分にわからない事情はわからないものとしてそっとしておく、ズカズカと土足で厚かましく介入しない配慮に、本作の提示する男の理想像の一つの具体例が投影されている)

皆が笑って暮らせる年になりますように。新年を迎える状況下で糸子が呟いたこのナレーションにかぶせて、布団に横たわり暗い面持ちで天井を一心に見つめる玉枝のショットが、週始めに置かれたことの意味を、ほのぼのと噛み締める。

勝の戦友が届けてくれた大事に油紙で包まれた遺品が、預け先の勝の弟宅から直子を引き取った直後に撮られた(夫婦として家族として仕切りなおしの再スタートとなった)家族写真だったというオチも、落ちぶれた奈津の困窮を、本人に拒絶されても放っておけない糸子の心配も、みんな今週の副題たる「愛する力」あればこそ、なのだった。

言葉の力より音楽やファッションなど文化の力、その文化の力より自分の手による(直接行動の)力、が強いのだとの糸子の呟きは、そのまま脚本家渡辺あやの伝えたいメッセージなのだろう。

力をください。怖いけど、頑張りますよって。
目を閉じて真剣な面持ちでそう願う糸子の、幼馴染みの友(奈津)を救いたいがどうしたらいいのか必死に知恵を絞った結果が、勘助のことで疎遠となった玉枝に、ここ一番の勇気を奮い起こして助けを求めに行く、という流れが素晴らしい。
さすが、愛する我が子の行く末のため土下座も辞さない善作の血を受け継ぐ娘であることよ、糸子には自分より他者のことを考え何とか喜ばせたいとする愛に溢れた心根が、格好つけて力まずとも本来自然に備わっているらしい。

いわば糸子が「相手に与える」コミュニケーションなら、(今までの振る舞いのオチとして今週も登場した)元婦人会の澤田は、逆に「相手から奪う」コミュニケーションを主体とする点から、後者が前者の比較象徴として配置されたことは明白だろう。
糸子は自分は損をしても他者を喜ばせたいと張り切るが、澤田は自分の思い通りに他者を従わせるべく張り切る。ちなみに澤田は右といえば右に、左といえば左に、世間が「これが今のトレンドですよ」と命じるままに動いたり走ったりする、信用ならぬ浮ついた世間や衆愚の象徴でもあるだろう。間違った行為への反省なき姿は、この先も今までと変わらず右往左往の一生で終わることを暗に意味する。であるならば、その彼女の見せる愚かさを、反面教師として目を逸らさずしっかり受け止めるのが、我々視聴者がわずかでも示せる未来への誠実な態度、ということにもなるだろう。
残念ながら時代は変われど常に、世間の動向を利用して同調圧力を行使したがる人間は必ずいるものだ。まただからこそ、脚本の孕む批評性は、過去が題材であれ、当然のごとく現代を見据えたものに成りうるのだ。

糸子の行為は意地悪な見方からすると「ひとりよがりのお節介」だとか「要らんことしい」などと揶揄されがちで、その上で結果が失敗となれば、ここぞとばかり無責任な安全地帯にいる一部の人々(端的に視聴者のことだが)は、「テキトーな暇つぶし程度の動機で」バッシングの集中砲火を浴びせかねないシロモノだ。
彼女だって勇気を出して会いに行った玉枝に、頑として拒絶される場合を考えないわけがなかったはずだが、そうなって受ける自分の胸の痛みより、奈津のこと、そしてもしかすると玉枝のことをも考えての、我が身を投げ打つ捨て身の行動だったんじゃないかという気がする。
痛みは自分が引き受けるから、何とか二人に再生して欲しいと願ったのではないか、
だからあの時、力をくださいと、ことさら神仏を意識したわけでもなかろうが、必死に祈ったのではないか、
相手の身を真剣に案じ、一刻も早く暗闇から救われるよう願わずにいられない、そんな濁りなき素朴な善意の力、自らの手を使って誰かを救い上げようと必死になる、ささやかな個人の行動の力がもつ土壇場で輝く結晶のような強さに、311以降に見聞きしたエピソードとも重ね、痺れるような衝撃を伴う、自分でも驚くほど心揺さぶられたシーンだった。

力をください。怖いけど、頑張りますよって。

行動しないでぐちぐちと悔いるより(いやもっとくだらないのは、自らは手を汚さないですむ安全地帯にいて、他者の行動の結果次第では愚かだと笑い、偉そうに分析ないし批評するより)、一か八か「当たって砕ける」覚悟で、勇気を出して行動する「自分の手を使う」人間の方が遥かにマシなように思われる。

奈津と対面した玉枝が、「あんたも」たった一人でしんどかったなァ辛かったなァと、泣きじゃくる彼女の背中を優しくさする時の言葉は、長らくたった一人で苦しんでいた、自分へのいたわりでもあるんだな。
人を助けることで、自らも助けられる、という構図はやはり鉄壁なんだ。
奈津もおばちゃんも、ようやく辛く厳しく暗く果てない不幸のトンネルから抜け出せそうで、本当に良かった、とりあえず安堵した。
これからは明るい方向が待っているだけと心に決めて、歩いて行けばいいよそのまま、後ろを、悲しい過去を振り返らずにまっすぐに。
今までの涙を吹きとばす勢いで、朗らかに楽しげに笑ってくれたらいいなあ。



しかし渡辺あやは全巻アンシリーズを読破してでもいるのかと何気に気になる。
モテモテな自分の状況を、糸子に無邪気に自慢する、嫌味のないサエの可愛らしい設定やエピソードなんぞについ。

お気に入りは第83回での一幕。
朝の出勤時に店のショーウインドーの前に立ち止まり、水玉ワンピを注視する周防に、通学のため元気よく表に飛び出してきた優子と直子、それへ数歩遅れて二人を送り出しに出てきた糸子が気づき、娘たちが母に促されてした挨拶に、周防がお早うと応じると店内に入っていき、それを一瞬ぽかんと見つめた後に、たちまち気を取り直し行ってきます!と駆けていく背中を、糸子が穏やかに見送り、周防にやや遅れて店内に入ってきて、そこで彼の脱いだ舶来のブーツに目を止め、向きを揃え直しながら、珍しそうに好奇の視線を注ぐ、という一連の流れが
観ていてとても心地よかった。あの回の醸す(周防による、深く染み入るような低音ボイスの語りも手伝って)、落ち着いた全体の雰囲気も好ましかった。