黒沢清と増村保造

先日たまたまBSで映画『暖流』を観て、5年前くらいを契機にすっかり失念していた増村保造監督作品を観たい欲求が、急に募ってきた。

頻繁なカット割りに頼らない、キビキビと引き締まった映像のテンポが快感になる。
アングルも構図もカメラワークも見どころ多く、飽きることがない。

クライマックスシーンの、起伏ある砂浜のベージュの小高い稜線と海のブルーのコントラストの間を、ずんずん大股で歩いて行く男女をずっとカメラが追っていくのとか、最高に良かった。

で、その前に今月からWOWOWで放映中の『贖罪』第一話を観ていたんだったが、蒼井優が室内を移動するショットの時の、パンしていたカメラがある地点でピタっと停止することで、画面に発生する一瞬で凝縮された緊張感に、確証なき直感ではあれ、増村保造の色濃い影響を感じたのを、さほど的外れとは思わない。

あるいは黒沢がTVドラマに進出するに至った動機の一因に、増村の履歴が無関係とはいえないのではないか、とも。
増村が赤いシリーズやザ・ガードマンの演出を手がけたことを思えば、同じく才能ある映画監督の一人として、映画以外の場での挑戦に興味を示すのも別に不自然ではなかろう。

それで、ひとり増村監督祭りの第二弾に、遺作となった映画『この子の七つのお祝いに』を観たら、これがまた、母の果たせぬ復讐を子が運命として背負う、というような情念渦巻く恐怖ホラーの世界が繰り広げられる、まさに黒沢の最新作ドラマ『贖罪』にも通じる内容だったのに、やっぱりそうなのかとの思いを強くした。

どちらも、少女が成人女性から受けた言葉の呪縛(復讐や贖罪とキーワードは違えどシチュエーションは同じ)に、成長した後もがんじがらめに囚われ苦しみ抜き、やがて取り返しのつかない悲劇が彼女を襲う、という救われない負の連鎖を、狂気と恐怖を以って描いていくパターン、しかも増村の遺作となれば、黒沢の最新作はそれを意識した題材選びだったかと、多少踏み込んだ見方をしたくもなろうというものだ。

『この子の七つのお祝いに』、途中何度か記憶が飛んだりしながらも(なにぶん寝不足更新中の身ゆえ)、ラストで残酷な事実を知らされ、これまでの私の人生は一体、と混乱の只中で思わず、お母さん寒いよ、と幼児帰りした口調で呟き、自分の両肩を抱きしめる不遇の娘、岩下志麻と、 
夜中にジトッと思いつめた顔で、目前に置いた大根やら豆腐やらに夢中で針を突き刺し続け、たちまち針山状態にしていく、復讐にとりつかれた母、岸田今日子の、情念の狂気に突っ走る演技対決が見もの。

とりわけ岩下志麻の、大仰な表現と台詞回しながら、それを裏切る本来の持ち味たる(身内からにじみ出る)冷静クールな佇まいが、相反するせめぎ合いを生んでいて、時々ふと哀れを突き抜けた先の滑稽味すら漂わせる、妙な味わいを醸しているのが忘れがたい。

贖罪の方は『接吻』の小池栄子再びという、こちらもクールに徹した「熱」演に引きこまれた。映像的には第一話での力の入った(記念すべき一発目でもあるしで)凝り加減の印象が強いのだが、脚本の引き込みは、山場作りのシンプルな第二話が有利かもしれない(一般ウケを考慮しても)。