くまの兄妹/贖罪


黒沢清監督のWOWOWドラマ(連続ドラマW)、第3話。

公式サイト(何気にキャスト&スタッフのインタビュー動画が気になる←リンクして気づいた)


階段の踊り場から見下ろす角度で、警察病院と思しき一階の、正面玄関のガラス扉を開けて中へ入ってくる小泉今日子を捉えた冒頭のショットから、見事なモノトーンの配色と緊張感の走る完璧な構図に、吸い寄せられるように最後まで見入った。

なぜ何の変哲もないスーパーのビニール製の買い物袋が、風に吹かれて地面をするすると流れていくだけで、不吉な暴力の予感に襲われるのか。

今回の主役の安藤サクラは、単なる比喩に留まらぬ、外見から「くま」になりきった前傾姿勢で最初から登場、それは15年間の秘めたる葛藤が彼女にもたらした「目に見える歪さ」でもある。

湊かなえの原作は未読で結末は知らない。が三話目までのどの主役女性も、幼少時の共通体験(仲良しの少女が学校で殺害された現場に居合わせたこと)から、その子の母親(小泉)からの「贖罪を果たすまであなた達を絶対に許さない」との激しい非難が胸深くに、杭を打ち込むように罪の意識を食い込ませ、「見殺しにした」との強迫観念を育てていく経緯を揃ってたどるのが、
無力な子どもの逃げ場のなさを大人になっても引きずるほどの(小泉が一方的に下した)「契約」の影響力を窺わせ、その呪詛とも取れる言葉への彼女たちの徹底した従属と自己否定そのものが、すでにホラー以外の何ものでもないと思い知る。

安藤の兄の加瀬亮による、ダンボールを拳骨で乱暴に潰したり、夜中に目を血走らせる勢いで身体を鍛えたり、といった日常に潜むマッチョ志向の暴力性が剥き出しになる瞬間が、的確に切り取られる。
兄の存在に淡いながらも唯一の安心を求めようとする妹と、その彼女の頭を撫でる癖をもつ兄の、二人の力関係の歪さがありがちなだけに、微妙に引きつつも納得させられる。

男から頭を撫でられると安心する女と、女の頭を撫でることで力を誇示する男、この関係性もいわば一種の「共依存」なのか。加瀬に撫でられるのを嫌がる、というか怖がって後退る加瀬の妻の連れ子の少女の存在が、兄妹の隠れ蓑を剥がして男女の「ありがちな歪さを」露呈させる(対比効果で)のが興味深い。

しかしここまで観てきた様子では、麻子(小泉)の求める贖罪とは、15年前に我が子を殺した犯人を見つけて捕まえること以外になさそうに思えるのだが、主役の三人ともにそれがもはや別の「呪縛」になっているというか、めいめいの生き方を問われる課題にすり変わっている(そう思い込み思い詰めている)のが、なんとも遣り切れない。今回の小泉から安藤への無情な突き放しを見るにつけ。
安藤が最後、すがるようにして望んだ自身への死刑判決以前に、すでに「私刑」は下されたも同然だったから。

自分だけ幸せになってはいけない、そんな分不相応は許されない、と安藤に強烈に働く抑制の暴力イコール小泉の手痛い拒絶&全否定の先には、これまで暗い情熱を傾けてきた彼女たちの生き方そのものがあった、だからこそ安藤に残された選択肢は死しかない、少なくとも彼女はそう信じて疑わなかった。他の二人も同様に。

計り知れない呪いの根深さ、果てのない暴力と不幸の連鎖は、しかし様々に形を変え、日常茶飯で起こっている。
物語としては特殊のようでも、負のスパイラルを引き起こすパターンはそう特殊というわけではない、一番のホラーは淡々と過ぎゆく日常に潜んでいる、というのを見事に描き出す黒沢清の映像に、だから引き込まれて当然なのかもしれない。

日常のありふれた風景や動作や些細なシチュエーションが、撮り方次第でこれ以上ないホラーになってしまう。
それはきっとどんな魑魅魍魎をも凌ぐほどの強力な負の感情に踊らされる「人」というものが絡むから、なのだろう。