南方熊楠からウルトラマンとその変身を考える

録画しておいた(実際の放映は22日)『シリーズ日本人は何を考えてきたのか/第三回』EテレNHKにて、南方熊楠の思想を解説する中沢新一の語りを聞いているうち、はたと閃いたのが「ウルトラマン」と「変身」にまつわるイメージ。
未だ確と定まらない取っ散らかった断片ながら、忘れないようメモっておく。

中沢曰く。

(鎮守の)森を一つの宇宙と見る南方は、日露戦争での戦費の赤字分を補填すべく政府が打ち出した「神社合祀令」により熊野の森林(神林)が伐採されることを、人智を超えた大いなる存在をコントロールしようとする人間の、身の程を知らない傲慢さの現れだと喝破した。

人智を発達させるには、合理主義的思考ではなく、宇宙のもつ精妙複雑さに共鳴できるような知性の形に高めていくことが肝要。

「自然と(人間の)心」に注目する南方は、前者が後者より精妙であるとし、いつかはこの2つが合体する地点がある、と考えた。
両者を「対立」ではなく「融合」の概念から捉えるのは、西欧にはないアジア、あるいは日本(人)に古から浸透する独特の思想といえる。

等々。


人智を超えた大いなるもの、とは森などの自然、さらには宇宙そのものであると定義した南方。
比しておのれの圧倒的卑小を認め、宇宙の計り知れない巨大な営みは人類なんぞにコントロール不能と観念し、ひたすら謙虚に身を預ける、為すがままの「他力」の生き方を人の理想とする考え方を、例えばウルトラマンを宇宙と見立て、そこに人が介在する変身をウルトラマンという宇宙との融和だと仮定してみれば、
過日の宇野常寛による村上春樹を援用しての、ウルトラマンビッグブラザー=戦後の(日本にとっての)アメリカだとする解釈とはまた別の、新しい視点を形成できそうな気がする。

人智を以って宇宙の運行に自在なコントロールを目論むとも、それには自ずと限界がある。
我々は逆立ちしたって全能の存在(神とか)にはなれないのだ。

ウルトラマンアメリカのメタファーだとする社会学的見地からの指摘には、金城脚本などの特徴からもとくに異論はないのだが、ただ、それだけではない魅力が、ウルトラマンというヒーローの造形にあるのだとしたら、それは南方の言う「人智を超えた大いなるもの」の存在感にあるのではないか、もはやアメリカのメタファーの枠を超えて、宇宙のメタファーとして機能していたのではないか、とも思えるのだった。

そう思う私は、ウルトラマンが衰退した理由を、ビッグブラザー云々の解釈よりは、端的に宇宙のメタファーたる(謎多き神秘の)存在から、等身大の人間くさいキャラへと移行した経緯に見る。
人智を超えた大いなるもの」が卑小な人間と同程度に格下げされれば、いよいよもってアメリカなる固有名詞のメタファーが前面に出てくるわけで、となると時代の推移に従い加速度的に、その隠れた意味づけが説得力を失うがゆえに衰退していく成り行きも道理だろう。

だがウルトラマンをあくまで広大無辺な神秘の宇宙の象徴のまま据え置き、そこに卑小なる人間が「変身」という装置を介在させてその「大いなる象徴と合体する」ことで、もやもやした形なき象徴が人らしき形に実在化する、というような過程を経るならば、あるいは本来魅力は時代の推移によって減退することなく生き延び得たのではと思わぬでもない。

過日の「ヒーローと倫理」と題した記事で指摘した、外部と内部とを自在に往還するイメージは、ウルトラマンの変身にこそ相応しく、また仮面ライダーとの差別化の最大の武器にもなり得たはずなのだが。
何故に他のヒーローには真似できない最大の魅力(「大いなるもの=宇宙」と「卑小なるもの=人間」とが融合する変身スタイル)を早い段階で手放してしまったのか、あの発想の独創性を十全に活かせなかったのか、不思議に思う。

日本人が古来より育んできた人智では推し量れぬ自然、ひいては宇宙の運行に、畏れや敬う心を忘れず、謙虚に分を守って生命を、種を、繋いできた遠い記憶が、分からないものは分からないとし、不思議は不思議と静かに放っておく、「大いなるもの」との絶妙な距離感(近くもなく遠くもなく、個であり同時に全体であるような)が、(初代の、と限定になるかもだが)ウルトラマンやその変身には無意識に組み込まれている、と感じる。
それはアメリカ云々以前に、日本人のものの考え方や有する世界観の特徴だった気がするのだ。

※追記

ウルトラマンへ変身する者は、例えるなら一時的に神をその肉体に乗り移らせることで、お告げを引き出す予言者とか霊能者みたいな存在に近いのかも、などと考える。
そして三分間というタイマーの縛りがいかに重要だったかを思う。
卑小でしかない人間が、自分が「大いなるもの」に成り代わったと自惚れて勘違いしないよう、絶対の力の行使には厳しい制限が伴うとする発想を生み出した(おそらくは無意識であろう)知性と先見性には驚くばかり。





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