隠しきれない恋/カーネーション


外れても踏みとどまっても人の道。

三浦組合長(近藤正臣)の一言は、今週の核心を鋭く突くものだった。
時に惑い、間違い、混乱しつつも、とことん命を燃やして生きる、後悔しない覚悟があるなら、どちらを選ぼうとそれもまた人の道、なのだと。

周防(綾野剛)の存在が、糸子(尾野真千子)に次々と洋服を作らせ、美しく装うことの快感と恍惚を実感させた。
三十路にして初めて知った恋する喜び、である。

大人になって初めて罹る、麻疹ならぬ恋の症状の重さは如何ばかりかと冷や冷やせぬでもなかったが、さすがに糸子も周防も大人の男女ゆえ、それなりに配慮と抑制の効いた、一線を踏み越えないバランスを見極めた距離が(といっても主に周防の側の強い自制心あってのことと思うが ←何気にしなだれかかられるとか拷問に近い気も)暗黙の了解的に保たれているのが伝わり、少し安心もした。

熱烈に恋する気持ちは、理性の力でどうにかなるものではないから。
本来は矛盾に満ちた滅茶苦茶なものだから。人の本質とも一脈通じるような。

周防に心奪われている間の糸子は、どこかしら地上から数センチ浮いた、非日常の夢を見ているようでもあった。
いそいそと待ち合わせ(いつもの『太鼓』@ココアはじめました)に着ていく洋服選びをするうち、娘たちによる「ピアノこうて」と書かれた沢山の紙片が服に挟み込まれているのに気づき、浮ついた気分に一挙に水を差されたことで「着古した」日常に戻るように、結局はいつもの着物姿で逢う、という些細なエピソードにも、
「人の道」の途上で、遅れてきた恋の取り扱いに不慣れを晒してジタバタする等身大の人間が垣間見えて、じんわり沁みた。

人の道を踏み越えそうで最終的には踏み止まった二人の別れのケジメが、糸子が周防にもたせた紳士服店の月賦払いの契約、というのがいい。
出会った頃の対等の立場に立ち返り、新たなスタートを切るための別れに、じめついた日陰の暗さは微塵も漂わない。次にまた笑顔で再会できそうな気がする。

真新しい『テーラー周防』の店内が夕暮れ色に染まり、画面の両端から周防と糸子が互いを見つめ合うシーンで、半円に切られた窓を真ん中から縦横に区切る枠の形が、まるで十字架のように見え、
さらにその隣の、横に細長い窓に嵌まった緑の色硝子が、自ずと教会のステンドグラスを連想させるのが興味深い。
非難の的となるのが避けられない後ろ暗い題材を、最後の最後で神聖な場面へと転換してみせた、脚本演出美術照明その他スタッフの志の高さに、何が来てもびくともしないしっかりした安定感をあらためて感じ入り、仕事ぶりへの信頼を強めたことだ。
奇しくも経理担当の恵さん(どうでもいいことではあるが、彼は本当にアチラ系の人なのかが気になる)が勢い任せに「気色悪い」と表現した関係が、ああまで美しく昇華されようとは。
正直予想していなかっただけに、ひときわ余韻に残ったのかもしれない。
会うは別れの始め、なら、別れも(再び)会うの始め、も十分あり得る話ではある。
人生は予測不能。何が起きても不思議じゃない。

軽薄と紙一重なほどにひたすらメンクイだった奈津(栗山千明)が、慣れぬ苦労を経験した果てに、以前ではとうてい考えられない、風采の上がらぬ中年男のもとに嫁いだのも、時の流れを感じずにはいられない、今週の注目トピックだった。
糸子との「なに?」「なんにも」のやり取りが懐かしく。昔とは期せずして逆になっていたのも味わい深く。

成長するにつれ父の泰蔵に似てきたと奈津自身が認めた息子の太郎(倉本発)が、彼女への密やかな片恋の終焉に、人知れず肩を震わせるのが、人と人をつなぐ因果の糸を感じさせ、ほろ苦く切なく、また不思議な心地にもなった。
図らずも劇中で運命という言葉を、周防と自分との関係を指す希望的見地から糸子が使っていたが、結ばれる結ばれないは別として、運命と思えるほどの他者との出会いは、おそらく誰にとっても(結果はどうあれ)人生を豊かにする素晴らしい経験に違いない。

糸子は奈津にも周防にも、晴れて一人立ちするまでこまめに面倒を見、なにくれと世話を焼き、全力で守ろうとする。
まず何よりも愛する者たちの幸せを一番に考える性質は、昔も今も変わらない、彼女ならではの美点だ。
周防のような男相手だろうと一貫して、守られる側でなく守る側に立つ(たぶん本人に自覚なし、自然にそうなる)のが糸子らしい。

奈津の旅立ちに際し、周防の背に隠れてボロボロ涙をこぼすのも、
奈津による殴打を婚約者に説明するのに(本人は冗談のつもりで)「血まみれになって帰った」と言って一人でウケるのも(隣で「え?」という顔で驚いてる周防は完全置いてきぼり)、
奈津のデコルテがきれいだと(本人のいないところで、というのがありがちな噂話や陰口とは真逆な点かも)心から褒めるのも、
どれも糸子から奈津への揺るがぬ愛情が、如実に現れているように思う。


その他。

千代(麻生祐未)と直子(二宮星)が枕投げなどする中で触れ合うひとときが印象的。
というのも、糸子の娘たち、とりわけ長女の優子(野田琴乃)と次女の直子が、やけに互いを意識し何かにつけて張り合いたがるのは、常に仕事第一で忙しい母にろくろく構ってもらえない淋しさが、私だけを見て欲しいという過剰な独占欲やら自己顕示欲やらを引き出しているのではないか、と感じたから。
千代に構ってもらった直後の直子が、満ち足りた穏やかな表情に変わるのを見て、ちょっと切なかった、傷つきやすい柔らかな魂に思わず触れた気がして。

周防との道ならぬ関係発覚に対する昌ちゃん(玄覺悠子)の反発には、もしかするとフワフワした夢のような憧れが、一気にドブにまみれ汚れてしまったことへのショックも、かなりの割合であったのではないか。
十年来の春太郎贔屓で仕事中にラジオ放送にかじりつく、どこか夢見る乙女(見た目は間違いなくオジサンだが)のような恵さん(六角精児)にも感じることだが、大体あの「オハラ洋装店」の空間自体が、夢を作る工房的な、ある意味(お客にとっては)非日常につながる雰囲気を濃厚に醸していて、そこで働く従業員の面々もどこか、たとえば宝塚とか修道院とか女子高とかいった、特殊(ぶっちゃけ女ばかり)な場所特有の空気感が漂っている気が、以前から何となくしてはいて、妙にこそばゆくもあったんだった。
それは突然の周防の加入で、妙に色めき立つ従業員(特に昌ちゃんのはしゃぎようは凄かった)の変化からも見て取れる。
世間一般の感覚以上に、潔癖さん揃いな傾向はあるかと思う。
昌ちゃんや恵さんによる号泣を伴う(←これにも若干引いた)糸子への直訴と相成ったのも、ゆえに分からぬことではないのだ。

玉枝(濱田マリ)&八重子(田丸麻紀)のコンビによる、とってつけたようにわざとらしい母娘漫才が、なんとも言えず。
なかでも八重子さんのボケは、勝手に特上認定したくなるほどのハイレベルの域かと。
なにしろ可愛らしすぎて苦しい(胸キュン発動)。