最終話『償い』/贖罪

連続ドラマWWOWOW
監督:黒沢清

まとめ切れないので思いつくまま箇条書き。

◇冒頭で、麻子(小泉今日子)が娘のエミリ殺害の知らせに無我夢中で現場へ走る途上、角を曲がった出会い頭に自転車とぶつかり、倒れこんだ道路脇のゴミ袋の山の中で無意識に口走った「エミリを連れて行かないで」の意味が、後から腑に落ちた。
自分も好きだった南条との相思相愛の仲を嫉妬するあまり、陰で中傷の限りを尽くし自殺にまで追い詰めた大学時代の友人・秋恵の仕業ととっさに直感し、あなたのいる死の国へ連れて行かないで、とその秋恵に対して懇願したのだと。
警察が娘の死体の身元確認のため同行を促すと、一旦は素直に従いかけるも、すぐに「嫌です」をうわ言のように繰り返し頑強に抵抗したのも、過去の罪に相応する罰が下ったと認めたくない無意識が働いたからではないか。

◇麻子のファッションも、部屋(特に自室の徹底ぶりが目につく)の調度も、ほぼモノトーンもしくはそれに近い色味で統一されているのは、15年前の事件以来、ずっと彼女が喪に服しており、しかもその喪はいまだ明けてない、という意思を反映したものだろう。

◇思わず引き込まれて見入った映像の流れを書き出してみる。

夫の鼻の先で麻子が自室のドアを無言で閉める。麻子の部屋から漏れる明かりが失われ暗く沈んだ廊下の色味から、トンネル通過中の列車に乗る麻子のショットへ、似たような明度をつなげてスムースに移行させる。

トンネルを抜けると車窓に鮮やかな緑の景色が連なるのに、目的地は山間の田舎かと予感させつつ、次で緑濃く茂る崖沿いに建つ、鄙びた無人駅舎をバックに、手前へ歩いてくる麻子のロングショット。

そこで彼女が急に立ち止まり凝視する先には、田舎にありがちな雑多な商品を揃えた小売店の、棚に立て掛けられたいくつかの万能包丁。
その刃には日光が反射して光り、店先を過ぎゆく人の頭部の影が、おぼろげに映り込む。

という短いショットを挟んで、今度は前述の駅舎の改札から遠く捉えた、バスに乗り込む麻子の姿をちらりと確認させた後、曲がりくねった白いガードレールをなぞるように走るバスの中の、どこか不安げながらも憮然とした面構えを崩さない麻子を中心に捉えたショットがくる。

イビツに曲がりくねるガードレールは、麻子の表面には出さない心情を容易に連想させる。
さり気なく計算が行き届いた映像の連なりの見事さ。

◇山道を逃げる麻子と、それをものすごい形相と走りで追いかける南条=青木(香川照之)、という構図が都合二度(徒歩以外のジープの時も入れると三度)出てくるが、怨念ほとばしる香川の存在とフィクスによる構図の相乗効果の迫力に、毎度ながら息を呑む。

三度目は徒歩の麻子を背後から猛スピードで接近して轢き殺しかけるも、あわやという寸前で急カーブを切り、結果的に自らが怪我を負ってしまう南条。
麻子に対しては常に、ドロドロに煮詰められたような憎悪と愛情(歪んだカタチとはいえ)の、激しい苦痛を伴うせめぎ合いが発生するらしき事情が、この一幕から窺い知れる。

◇廃屋となった元山荘の二階で、南条が麻子に贈った指輪と、秋恵による自分に宛てた遺書を放置された金庫の(しかも丁度良く目前で扉が開いた)中から偶然見つけるくだりに、通奏低音となって流れる、すきま風を思わせる音の底知れぬ不気味。
啓示のように劇的に、南条が手紙の文面を読むタイミングに合わせ、照明が一瞬だけ激しく点滅するホラー映画の常道演出。
全てを理解した香川がニヤリと笑いながらどアップで振り返った時の、目の座り加減。

他にも目立たぬ細部に映像的な面白さや工夫が詰まっていて、ワンショットたりとも退屈することがない。

◇自分の経営するフリースクールをはるばる訪ねてきた麻子相手に、やおら座布団三枚並べ、だらしなく寝転びながら表面上は屈託なく話しかける南条の、いやに馴れ馴れしい態度には、下卑た余裕(俺を愛した女、という認識に立脚した男性心理)と捻くれて鬱屈する憎悪が見え隠れする。
初対面の麻子に最初は普通に笑顔で接していた彼の妻(唯野未歩子)が、三枚の座布団を目にするや、猛烈な勢いで片付け始めたり(しかも無言のまま)だとか、客である麻子には何も出さず、自分だけグラスに水を注いで飲んだりする動作などから、押し殺した気持ちの動揺が伝わってくる。
定番演出ながらも印象に残る。動揺を反映してか、棒読みみたく平板ながらも若干上ずった声になる唯野の、演技のさじ加減が効いている。

◇小川由佳(池脇千鶴)による「麻子さんでも迷うことあるんですね」の痛烈な皮肉の一撃が、しかし麻子自身にはその本意までは届いていない、というやり取りの齟齬にこそ、本作の核心部分が凝縮されていると感じる。
直接関係のない「とばっちり」を受けただけだった私たちは、それでもやるべきことを果たした。だから麻子もそれを果たすべきと主張する小川は、とどめに「犯人を殺すのが、あなたの贖罪です」と、今度は逆に麻子に呪いをかけ返す。
そのオソロシサに気づかない麻子は、呪いを進んで受け取る。自ら言葉に呪縛されることとなる。

だが南条は、麻子が手を下す前に、麻子の目前で線路に立ち入り、轢死による自殺をしてしまう。
死に際に彼が麻子に言ったのは「君が望んでも、どうしても手に入れることができないものを見せる」だった。
それは、自分の自死は自罰意識なくしては成立しない、だが麻子にはそれがない、という意味にも受け取れる。
麻子が今まで復讐を正当化できたのは、自らは手を汚さず復讐するよう号令をかける役割だったから、つまり脳内(バーチャル)な感覚しかなかった、実感が伴わなかった、「殺人」が他人事だった、ことも大きいのではないか。

麻子は復讐を当然と考える。やられたらやり返す、目には目を、の実行に何の躊躇も感じない。だがそれが安全地帯からの身勝手な妄想でないと本当に言えるだろうか。
実際に「目には目を」の復讐を遂げた南条の、その後の人生および末路も痛ましいが、復讐という大義名分、15年の執着を一気に無に帰された麻子のショックは、自らが南条に告げた「最後の秘密を知ればあなたの人生は無意味化される」の返り討ちにあったようなものだ。
彼女は復讐という言葉の前で、なすすべなく宙吊りにされた(無意味化された)も同然だ。

娘の殺害現場に居合わせた同級生の女子四人の、その後の人生に多大な影響を及ぼした復讐への執念が、回り回って最初の発信元に戻ってきた。
麻子は罪のない被害者のつもりで、元を辿れば罪を犯した加害者であった、ともいえる。
同級だった娘たちを呪縛し続けた「贖罪を果たせ」との言葉が、今度は(小川によって)麻子自身が呪縛されてしまう。
この呪いはたぶん彼女が生きている限り解かれることはないのだろう。
思い切り突き放した救いのないラスト。やはり本作はホラー以外の何物でもないと実感する。

焚き火か何かの煙が立ち込める住宅街の道(冒頭の映像がイメージに重なる)を、朦朧とした目つきと覚束ない足取りでゆくあてなく歩く麻子の姿、
まるでそのもやの中に存在が埋没してくかのような不安を残し、唐突な暗転を迎えるラストショット、

TVドラマの水準はここまで洗練され、レベルアップが可能であるとの前例を示した功績は、けして小さくないはずだ。
見惚れるほどの細心を払うカメラワークに、他のTVドラマスタッフはもっと驚き、悔しがり、意気込みと覚悟新たに、TV畑のプライドと意地を賭けて果敢に挑戦してくれなければ困る。そうならなければ嘘である。情けない。と心よりの期待を込めて。


.