オリエント急行の殺人/名探偵ポアロ

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新シリーズ4作品中トリを飾るに相応しく、1934年当時の倫理や正義に基づくであろう原作に、一歩踏み込んだ現代的視点から再解釈してみせた(少なくともルメットの映画と比べても、大筋は同じでも仕上がりの印象はだいぶ違う)演出の冴えは、本題の謎解きを辿るための、象徴的かつプロローグ的意味合いから挿入された最初の二つのエピソードに、既にして顕れている。

開巻直ぐに、容疑者全員を前にポアロが明らかにする真実を直視する辛さからか、自ら(嘘を暴くポアロの目前で)命を断つ、歳若き犯人。
あれは罪に対して重すぎる罰だったと、ためらいがちに非難めかした私見を述べる犯人の同僚に、
「人には常に選択肢がある、嘘をつき裁きを受ける道は彼自身が選んだこと」だと神妙な表情で答えるポアロ

またイスタンブールの路地を歩いている途中、不貞を働き子を身ごもった女を群衆が追い立てるのに遭遇、やがて彼女に対し皆がてんでに石を投げつけ、唾を吐きかける様子を見てもなお、ポアロはその土地のルール(決まりごと)を尊重する立場を崩さない。

二つのエピは、罪に対するポアロの複雑な胸のうちが、演出によってのみ感知できる点で共通している。
彼の吐く言葉の論理立てた隙のない明瞭さと比較すると、それを裏切るように、表情や態度には単純に割り切れない「ためらい」が二つの場面ともに彼の身を包み、たゆたっているのだ。

ポアロは自身の職業上のプライドからしても、法を逸脱した特例的裁きを認めるわけにはいかない。
罰則規定の曖昧な情状酌量を、自分に許すのも他人に見過ごすのも、信念に反するからである。

だから正義という名で私刑による報復殺人を正当化する声が挙がるや、身を震わせるほどの激怒を露わにする。
死んで当然の男だの、悪魔の化身だの、死の裁きは当然の権利だのとの相次ぐ反論に、NON! NON! と強硬に首を振り続ける。

あいつを擁護する気か!
あなたこそ正義をねじ曲げている!
どう見ても悪人のあいつを許すべきじゃない!

ヒートアップしていく非難の雨に無言で打たれるポアロの、ラストショットまで連続する深い苦悩の刻まれた表情の強烈に忘れがたい余韻が、いつまでも後を引く。

ポアロは「報復(私刑)」の正義を認めたのか。
そうではないだろう。
認めたのは情状酌量を余儀なくさせた穢れなき無垢を自認する人の、哀しいまでの愚かさに対してだろう。
その自らを保つ唯一の希望と必死にしがみつく信仰を、無慈悲に取り上げることへの不憫だろう。


「あなたは仰った。あのイスタンブールの女性について。罰を承知で掟(オキテ)を破ったと。
×××(殺された男の名)もそうです!」

復讐(報復殺人)の正当性を主張する「無垢なる人」に

「あなたもです。」

どこか哀しく、だがきっぱりと言い切るポアロの誠実なくして、あのラストの判断は引き出せなかったに違いない。
元よりの信念を曲げてでも、赦す、ということの重みに痛みに、彼の顔はああまで歪んだのだった。



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