西海の海賊王/平清盛(6)

このところの地味回続きに視聴意欲が薄れたのかもしらんが、第6回の録画分を2日遅れで観てみたところ、義に燃える青年の熱き高揚が、高き志が、終始画面からほとばしっていたのに、安堵とともに次回以降への期待をあらためて抱いたことだ。

次から次と途切れず名文句(台詞)が繰り出される、ベタなエンタメの徹底は嫌いな部類じゃない。
場面に巧くハマった時の気持ちよさは格別なわけで、今回はその連続でもあった。

「食い詰めた奴らばかり、だから強いのだ」とか、「なにゆえこの国の仕組みは、かように面白うないのだ」とか、題材となる背景は過去の歴史でも、現代社会の問題点を反映する台詞を意識的に(おそらくは)投入してくる脚本の時代感覚は信用できる。
今この時代にこの題材でエンタメ作品作る意義は、そこにこそあると思うから。

初登場の兎丸(演:加藤浩次)が時々ジョニデのばったもんに見えてくる(すまん)のは置くとして、
帝(ミカド)はこの国のお頭ゆえに義があり、そのミカドが海賊を嫌うからオレらは悪とされる、だがオレらが天下とったら、その義と悪がひっくり返るのだと、意気盛んにまくし立てる兎丸の、
不敵な面構えで大望成就に突き進まんと血気に逸る青年像は、たしかに清盛(演:松山ケンイチ)のキャラと被るだけに、

たちまち意気投合するのも、激しくぶつかり合うのも、似たもの同士な気質が招くのだろう、終盤での清盛と剣を交えての鬼気迫る表情や、ついに力尽き膝折れてもなお、憎々しげに睨み返す眼力の鋭さが、対決シーンにより一層の臨場感をもたらすのも良かったし、

さらに清盛による「オレは武士だ!血は繋がらずとも平氏の男だ!」という初めての(吹っ切れたがゆえの)明確なアイデンティティ表明、後先考えず身内の血がたぎるままに問題の大本へ飛び込んでいく、若者らしい青臭さ満載な長台詞のほとばしる勢いには、晴れ晴れと胸のすく思いがした。

お前は俺だ兎丸。ともに父を喪い乗り越え、この面白うもない世を面白う生きようとあがいておる男だ。
いい台詞ですな清盛の。バックに、遊びをせんとや生まれける、のあどけない歌声が流れる演出が効いている。
通奏低音のように無常観が作品世界を覆い支配している。その中での清盛や兎丸といった、次世代の担い手たちによる「あえて世に挑む熱血」だからこそ面白い。声援を送りたくなる。

歌の符丁に関してはもうひとつ、高階通憲(演:阿部サダヲ)が李白の詩(『春夜桃李園に宴するの序』)を原語で暗唱する流れから、遊びをせんとや、に続ける演出も。
念には念を入れて、効果には効果を重ねて。そこまでベタに徹する覚悟、と読むべきか。

海賊の頭(カシラ)の正体を見極めようと、唐船めざし小舟で海へ乗り出し消息不明となった清盛を、さてどうすべきかと忠盛(中井貴一)を筆頭に平家一門が思案する中、まず家人の盛康(演:佐戸井けん太)がその安否を気遣い、自分の負傷に端を発する無鉄砲だと「目に入れても痛くないほど可愛い若」の擁護をするのに、
黙って聞き入る兄・忠盛の苦悩を見かねて、本来はアンチ清盛な立場の忠正(演:豊原功補)が、兄の代わりに自分が行くと言い出し、
するとひときわ威圧感漂わせたデカイ図体の伊藤忠清(演:藤本隆宏)が、いいえ皆で向かいましょうぞと夜明け前の闇討ちを提案、
そこへすかさず鱸丸(演:上川隆也)以下漁師たちが「お役に立てれば」と馳せ参じる、
この各人各様の思惑を、短い台詞や仕草や目線を配することでテンポよく畳み掛けてくる流れが、メリハリをつけていて良かったと思う。

また自分のために平家の面々が救出に駆けつける姿を目視した時の、清盛の震えるほどの感激が、不意ににじむ涙をことさら乱暴に、腕でゴシゴシこする動作からも痛いほど伝わって、その後にアイデンティティ表明へと至る心境変化にも納得がいく。
ようやく自分の居場所はここだと宣言できたことで、中二病をこじらせっぱなしだった少年の日よさらば、とめでたく相成り、次回ようやく色気づいての恋バナとなるのは、なるほど成長物語の定石踏んでるわけですな。
コメディちっくな次回タイトル(『光らない君』)に吹いた。ようするにイケてないと言いたいらしい。
熱血君に手練手管を期待するなかれ。直情一直線の大博打でイケイケドンドン、であります。


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