中島かずき脚本の挑戦を見守りたい/仮面ライダーフォーゼ(追記)

第21話『進・路・誤・導』
第22話『馬・脚・一・蹴』

についてのささやかな書き落としメモ。

先週(#21)からOPのSEが以前より強調され迫力が増したことへの歓迎と、
これまでの坂本監督らしくないお粗末な(いかにも使用してます的わざとらしさの残る)ワイヤー使いへの失望と。

さらに昨日触れた、弦太朗による「友達は作るけど怪物は倒す」とのヒーロー宣言(決意表明)から見えてくる、作り手の誠実な葛藤についてももう少々言及してみる。


戦争に始まり戦争に終わった感のある20世紀に学ぶべき(苦い教訓とすべき)中でも最大は、終わりなき復讐の連鎖、互いの正当性(卑小なオレ正義)を賭けて争いを繰り返す愚かさだろうと思うが、

その痛ましき目前の現実から翻って、さて特撮ヒーロー番組はというと、

現行の戦隊では、まるで時が止まったかのように、前時代的な古臭い脳ミソが「伝統」の二文字を錦の御旗と掲げ、911以前の世界を再現してみせる茶番を、何食わぬ顔で(葛藤の欠片もない脳天気さで)繰り返していて、著しい認識のギャップに、立ち上る胡散臭さに、最近とみに息苦しさを覚えていた。
何か酷く嫌なものを見たような後味の悪さがあった。

それが現行のライダーでは、現実と作品の間のギャップを埋めるべく(アイディアが固まるまで)ジタバタと葛藤したであろう作り手の誠実が窺えるのが、作品の好き嫌いを越えて頼もしく感じられる。

ゆえに特撮heroものの基本である勧善懲悪のファンタジーを今の時代に成立させる困難と、玩具など関連商品含めた需要を満たす必要との狭間で、毎回作り手側が無理くり知恵を絞るからこそ、質の高い作品が生み出されてきたとする宇野常寛の指摘に同意しつつも、

自己実現とか自分探しとかの、共感を得るに敷居の低い(わかりやすい)設定でそれこそ「誤魔化さず」に、

あくまで主人公のベタなヒーロー性も勧善懲悪の方向性も手放さず、しかも今の時代感覚から剥離しない、という相当に厳しい達成目標に、絵に描いた餅にしないよう真摯に取り組む姿勢が作品から伝わる以上、応援しないわけにはいかないのだった。


歯の浮くようなキレイゴトに、いかにして説得力をもたせるか、
特撮hero究極の課題をどう克服し、さらに魅力的な作品となし得るか、

脚本陣の力量で、どこまで行けるか見届けようと思う。
難しい課題にあえて挑戦しようと奮闘する、勇気の行方を見守ろうと思う。




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