「きっぱり白黒つける断罪」の「わかりやすい格好良さのカタルシス」を疑え

ドキュメンタリー&報道特集に言葉を失うばかりだった昨日のこと。

深夜の海外ドキュメンタリーではクメール・ルージュの虐殺が、加害被害双方の証言を交えて生々しく炙り出され、旧人民(農村の人間)と新人民(都市の人間)とに大雑把に二分し、中国の文革を真似た差別構造を持ち込んだ指導部のずさんな統治が原因で
(番組中の証言から類推するなら、当初の指示が末端に及ぶほど「きっぱり白黒つける断罪」の「わかりやすい格好良さのカタルシス」を肯定する過激さと残虐性を帯びることとなった、ということか)、
無実の夥しい数の一般人が、意味なくただシステマティックに殺され続けた事実の、とてつもない重苦しさに沈んだ。

ただ自らも前述組織に両親と兄を殺された過去を持つ本作のディレクター氏の、復讐心を排し、自制心を忘れず、虐殺の真実を闇に葬ることなくきちんと後世に残したいとする製作動機に、かような生き地獄をくぐり抜けてなお、保たれる高潔な人となりが救いではあった。新たな生活へと踏み出すラストは、一種清々しくもあった。

同じくクローズアップ現代では、シリア現政権から一般市民への止まない武力弾圧(解決の目処が立たない泥沼状況)が報じられ、軍が三歳の男児を反体制分子と見なした親から奪い取り、その後に両耳と指を切り落とし、目を潰し、胸に三発の銃弾の跡のある、その子どもの惨殺死体を家の前に放置した、などと親自らが訴えるのを聞いて、目の前が暗くなる心地がした。

クメール・ルージュもアサド政権も、暴力の根底にあるもの、暴力を引き起こす根本原因は、
不信と恐れ、に尽きる。
敵は外ではなく内にあり、暴力を振るう者自身の問題であることを認識しない以上、
真の解決は望めないだろう。

彼らの理屈は判で押したように同じ。
人民は愚かで信頼できない。だから力で押さえ込む以外ない。

他者を裏切ったマクベスが、誰よりも(他者からの)裏切りを恐れるようなものだ。
弱い犬ほど過敏に反応して(身構えれば身構えるほど)キャンキャン吠えまくるようなものだ。

事態を悪化させるだけで何の解決にも結びつかない。
付け焼刃の対処法は長くは続かない。

いつか必ずやしっぺ返しがくると分かっているのに。
不信と恐れを克服できない限り、愚行(暴力)の悪循環をぐるぐる回り続けるだろう。

だがその間にも、
怯えた目をした子供らの、恐怖に大きく開かれた双眸からは、
涙がいくつもすじを引き、汚れた頬を乾く間もなく濡らし続ける。

親の腰に抱きつくようにして背中側に身を隠し、おずおずカメラの方を窺っていた男の子、
訳のわからない不安と悲しみとで張り裂けそうな小さな胸に、
あまりにも大きすぎる痛みを背負わされて。

あの子、今頃どうしているだろうか。
今のこの時も、どうか無事に生き延びてくれてますように。



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