弱者虐めのどこが正義か荒川稔久脚本に問いたい/ゴーカイジャー

ゴーカイジャー、顔出し俳優やスーツアクターなど俳優陣や制作スタッフの仕事ぶりに、労いと感謝を伝え、画面からも知れるその頑張りを讃える気持ちに嘘はないが、嘘がないといえば、進行途中からずっと引っかかってきた脚本への不満も、またそうなのだった。
このまま不満を書かずに押しこめてしまうと、嫌な感じでくすぶり続けて、結果ロクなことにならない気もするので、最終話を視聴したこの機会に、明記しておくことにする。


前回記事にて、過去のレジェンド大戦では34戦隊が束でかかっても倒せなかった「最強(凶)の敵」であるはずのザンギャックの、その法螺吹きハッタリ設定とは裏腹な、戦隊史上最弱と言われても驚かないお粗末な実力と、ありがちな記号キャラにも達してないペラペラな描写を批判したんだったが、
お陰で最終話での皇帝との対決シーンが、(相手が弱すぎるがゆえに)浮浪者リンチして鬱憤晴らす中坊グループの図、に見えてしまい、しかも執拗に殴る蹴るの暴力を繰り返す点でもイメージが重なるしで、
これで戦隊を名乗るのか、とあまりの画ズラのみすぼらしさに呆然となった。35周年で出した答えがこれなのか、と想像以上に頼りない作り手の現状(東映にしたら窮状だろう)をガツンと突きつけられたようで、正直かなりショックだった。

過去の戦隊作品で、ああまで酷い弱者虐めの様相を(少なくともそのイメージに結びつく酷似を)見た覚えがないのが、偶然の幸運だとは思えない。
勧善懲悪のファンタジーを了解しつつ、受け入れ楽しめる筋の運びなり悪の描き方なりの工夫が、これまで観てきたどの過去作品にも、それなりに施されていたから。
悪の描写に徹底して手を抜かない「最低限守るべき約束事」を疎かにして、勧善懲悪の理は成立しない。
同時に正義のヒーローも安い騙りにしかならない。

本作はその最低限の仕事がクリアされていないため、ワルズ・ギルと配下の幹部(バリゾーグ、インサーン、ダマラス)らが、
何故か決まって「単身でゴーカイに挑んでは倒される」を反省なく繰り返す(彼らの軍人としての設定上からもまずあり得ない)無計画極まりない特攻精神だの、
それへ艦隊の船一つ配下の誰一人、援護に出るでなく、ただ地球付近の宇宙空間から一部始終を傍観しているだけ、のもはや軍隊以前の、組織の形すらなさない(号令をかけるリーダーの無能が知れるばかりな)数ばかりひしめく、とんだ役立たずの烏合の衆どもの体たらくぶりだの、
どの情報もザンギャックが如何に雑魚な悪役であるかを示すのみで、そんな雑魚相手にいくら格好つけても「さま」にならない、と徐々に批判的見方に傾くのも致し方なきことだろう。

終盤に近づくにつれ、ゴーカイ側にも正義やヒーローの概念とは程遠いセコい自己中を、いかにもヒーローめかして正当化する台詞や筋運びが目につき始めたのであって、
時代錯誤も甚だしいアイムの復讐達成エピ(なぜここで終わると言い切れるのか、相手に親類縁者血族がいた場合どうなるのか、私怨を晴らす誘惑に一度落ちてしまえば、もはや正義もクソもない、ヒーローにあるまじき行為を、葛藤一つ描くでなく、「正しいこと」として誇らしげにやらせる脚本家のモラルを疑う)も、
「お前は独り、だから間違っている、俺達は仲間、だから正しい」的なトンデモ理屈をゴリ押しする決め文句でダマラスを倒したエピも、
私的な恨みだの嘲りだのの負の感情を、正義のコーティングで美化して描かれているのに、拭えない違和感がつきまとった。


ワルズ閣下亡き後に唐突に登場した父の皇帝の、どこがどう悪なのか、「あくどすぎる」のか、なるほどと納得できる具体的エピソードの1つ2つでもあれば、まだましだった、
最終話であんな風に容赦なくなぶり殺しにするゴーカイ側への嫌悪も、今より多少は減じたかもしれない、

しかしザンギャック本星まで攻め込む、とまで調子にのるのは、ようするに一介の海賊(を名乗る子どもら)風情が、正義のヒーロー気取りで余所の星の内情に介入する、との理解で宜しいのか、
ここは一応「お前らはブッシュの二番煎じか!」と突っ込むべきか悩ましいが、過去戦隊スーツをアレコレ新調したせいで、大幅に足が出たと思しき制作費分を、映画量産でスーツ使い回しなんとか回収せにゃならん裏事情が丸見えなのがやれやれというか、にしても本星を戦いの舞台にすればそこの民間人も巻き込む事になるわけで、どのような大義名分を言い立ててヒーロー然と振舞わせるのか、むしろその「取り繕い方」に野次馬興味がある。


地平線からいきなりゴーカイガレオンがぬっと現れたり、ラストの宇宙を背景にした構図なんぞに、ハーロックやヤマトの松本零士臭漂う(おそらくは過去戦隊放映当時の世代を対象とした)サービス演出にも、今回ばかりは嬉々としてノレなかったのが残念。

宇宙一の宝だの、二番目の宝だの、最後まで言葉だけが空回りしてた印象だけがある。
大騒ぎしたわりには一体何だったのかすでに思い出せないんだが、宝は地球人か、人の命は地球の未来、だから地球を護る、となったんだっけか。
それでザンギャック星人(というの)は別だと。
良心の呵責なくガンガン消滅(デリート@デカレン←荒川脚本)させて構わないと。
悪だから「正義の味方」が何をしても構わないし、どんな非道も「お前らの自業自得」で許されるのだと。
相変わらず偽善と差別炸裂のダブスタ脚本に感心しきり。

だが戦隊がこの先も生き延びる芽はある、と思いたい。
二年続きの不調は素人目にも厳しい状況と映るだけに、余計エールを送りたくなる。
次回作ゴーバスターズで小林靖子に電王の奇跡を再び!と、制作側も願かける思いなんじゃないかと想像。応援せねば。



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