ホールからピースへ/カーネーション(鮮やかな態度)その2

一週間分の連続放送を観ていて、ああそうか、とぼんやり気づいた。
店の引き継ぎをめぐり、親子の激しい衝突が繰り広げられる「お茶の間のテーブル」上に、共通して置かれたケーキについて。

かつての善作と糸子の時はホールタイプのクリスマスケーキが、そして糸子と優子の時は、売り場で既にピースにカットされている(のは箱に残ったケーキの切り口や各ケーキの下に銀紙が敷かれた様子からそれと分かる)ロールケーキが、という選択の違いは、もちろん偶然などではなく、前回指摘した「家から個へ」の時代変化の象徴でもあったのだと。

皆が囲むテーブルにどんと置かれたホールケーキには、絶大な権限をふるう家長が号令一下、家族を支配した時代が、そしてピースケーキが銘々の皿にすでに取り分けられた光景には、個人の自由意思が尊重される時代が、それぞれ重なって見えてくる。

もはや糸子には、善作のようなクリスマスケーキを盛大にひっくり返す「家長たる意地やプライドをここぞと見せつける」パフォーマンスは、最初から禁じられているに等しかったのだ。
引継ぎに際して格好がつかない(不細工)との嘆きも、当然といえば当然だったのである。

(生まれてこの方見たこともないくらいに)時代は大きく変わった、のだから。

昨日までの展開では、糸子はまだ従来型の古い思考様式から抜けだせず、だんじりの大工方を交代するイメージで、タイミングよく家業を子に引き継がせるのが、親の務めと信じて疑わなかったり、その親心が子に受け入れられない悔しさ淋しさを、玉枝の腕にとりすがるようにして、散々に愚痴ったりしていたのが、

週末の最後の放映である本日は、客から聴きだした本音(記念すべきお客第一号の駒ちゃんを思い出さずにはおかないエピソード、やはり糸子はお客の好みを叶えるべく行動する時が、もっとも輝きを増し、鋭い閃きが湧く人なのだ)をきっかけに、
ひときわ痛快な逆転ホームランをかっとばす糸子と、週の最終日に180度糸子の価値観が変わるという大胆展開で、視聴者に驚きのとどめを刺す脚本には拍手喝采、予想外のこの見事な着地に目を見張った。

週の副題たる「鮮やかな態度(手腕)」とは、まさに脚本の放ったこの渾身の逆転劇に尽きるのではないか。


時代は変わる、見たこともない時代がくる、と北村に満面の(悪戯を企むような)笑顔で詰め寄る糸子の元気パワーは、女子は無理に結婚しなくともいいのだ、構わないのだ、とまるで未来に起こる事態を予測するかのように言い放つ。
若い女の子らの足が、「北村の時代」を颯爽と踏みつぶしていった、という言葉の裏にちらつく影のうちには、父たる善作も含まれているのは言うまでもない。
北村は一種のカモフラージュとして機能しているのであり、心に浮かぶイメージの筆頭は善作以外の何者でもなかろう。
最愛の父は同時に、男尊女卑社会と分かちがたく結託した、忌々しくも強大な壁として、常に糸子という「女性」の前に立ち塞がった「男性」でもあったのだから。


だんじりは例えれば従来の家制度のようなもの、善作のやり方を踏襲するつもりの糸子が守ろうとした、店の看板のようなものだろう。
大工方の顔ぶれは代々引き継がれることで変われど、引き継ぐ本体は変わらない。唯一絶対のものとして扱われる。

だがテーブルの中央で、どーんと存在感を放っていた「一つが全員分の」ホールケーキが、初めから一人分で売られているピースケーキに変化したように、
糸子と三人の娘たち(優子、直子、聡子)それぞれが、固有のだんじり上で大工方をやる時代への変化の兆しが見え始めた。

さらに活き活きと輝く女たちの活躍が眼に浮かび、次週にも期待が膨らむ。
(オノマチとの別れはまだきちんと想像できないでいる、なんだか現実感の伴わない夢のようで)





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