思い出を抱きしめて「今」をたくましく生きる人/カーネーション(130+月火分)

第23週『まどわせないで』


主役を夏木マリにバトンタッチしての三日目。
初日こそ大幅な様変わりの仕方に面食らったが、それでも
「もはや走れない(ゆっくり歩くしかない)」我が身と
「昔も今も同じ速さで颯爽と走り抜けていく」だんじりを引き比べ、
「淋しいような、切ないような」とほろ苦さを湛えた笑顔で呟く糸子の、
重ねた来し方の歴史に一緒に思いを馳せ、同じく「切なく」なって以降は
渡辺あや脚本が晩年をどう描くつもりか、どう魅せてくれるか、
興味津々で観ているが、期待に違わず、すでに着々と布石は打たれているようで
頼もしい限り。

80年代という時代の申し子のような里香のキャラクターは、
その設定により必然的に、服作りの何たるかを再確認する上での
キーパーソン的役割りを担う一人のようだ。
当時のヤンキー現象(かつてのガングロ女子とか汚女とかに通じるような)の
巧い使い方に感心。

80年代臭は、新規開店と相成った金券ショップの経営者や、
以前の木岡履物店の土地に、いつの間にか建ったらしい不動産屋の、
ソフトスーツ(←ダサさの極み)に金ピカ装飾具(金のロレックスとか
成金の証明みたいなもんだったと記憶)なんぞつけまくった野郎二人に対する
糸子の違和感となって表出する。
後者の二人に示したどこか壁のある余所余所しい態度は
阪神優勝に無関心なわけではなく)、
できれば胡散臭い輩とは関わりたくないと敬遠する心情からきている。

キタムラ(北村)が某安物(失敬)衣料チェーンのもじりだったと、
ここにきての「ほのめかし」にもニヤニヤ。
律儀にオチつけてくる脚本のサービス精神、嫌いじゃないっす。

ろくろく自分の頭で考えも悩みもせず、使えそうな便利な他人に丸投げする
お安い依存心(本人的には効率重視して何が悪いとしか思っていない)もまた、
この時代の悪しき精神構造を代表する一つ。
京都の呉服問屋のボンだけに非ず、こんな奴吐いて捨てるほどいた、
それが世の中の趨勢だった。

「当然のように」勘助すっ飛ばして、泰造兄ちゃんの遺影を磨く里香に、
先輩に似てる云々以外の、男前度に露骨に左右される正直な女心を見る思い。苦笑
夏木糸子の「横のヘタレも磨いてやって!」に吹いた。うんうん磨いてやってくれ。

で泰造兄ちゃんや勘助に続く「懐かし感」「デジャブ感」を
間をおかず(一話の中に盛り込むことで)連発する渡辺脚本の周到。
過去は現在のあわせ鏡、そういった類の「ほのめかし」を夏木糸子に変わっても、
変わらず、まき散らし続ける脚本の一徹な姿勢、嫌いじゃないっす。

タテタテヨコヨコ、はこれでもか!なダメ押し。はいはいサービスサービス〜

里香は優子の仕事する背中、見て育ったわけじゃないからな。家が即仕事場で、
住み込みの従業員もいる環境で育った自分(優子)の「贅沢な環境」も踏まえず、
子を批判するのは酷というもの。○○でなければあの子はおしまい!などと
やたら大騒ぎする自らの余裕のなさこそ、点検してみる必要があるはず。

ジャージの主張、制服の主張、野暮ったい定番の記号を「あえて」身にまとうことの攻撃性、
この抱きしめたくなるほどの不器用さ、察してやれなくてどうする母ちゃん。

謎の学ラン男子登場。
「あの夜の」周防と糸子を思わせるデジャブショットに浮き立ったのは、
自分一人ではあるまいと思うが、にしても
必殺!背負いシチュも繰り返してくるとは。よもやそこを突いてくるとは。
少女漫画も真っ青なベタが流行りなのか今どきは。むう(と汗を拭う仕草)。

それと細かいようだが引っかかったのが、火曜のアバンでのざるそば。
関西圏ならうどんの方がポピュラーではないのかなと。
しかも蕎麦をザルで(汁なしで)いただくスタイルは(今は知らんが)珍しいような。
あくまで個人的な違和感ではあるが。(思い違いなら申し訳ないが)



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