(大量のコーンスターチと花吹雪責めに)義清散る!/平清盛(10)

◇初っ端から苦言になってしまうが、
さすがに今回のはコーンスターチ多すぎ、使いすぎ。

ピンポイントでの効果的使用まで全否定する気は毛頭ないが、
何でも彼でもやたら白っぽく靄のかかった色調にしてしまう意味が、狙いが(何の効果だか)
さっぱり分からない。

剥げたような、褪せたような、ぼんやりした色味で
義清に美醜を語らせる「的を外した」皮肉の笑えなさ。

目にも鮮やかなOP映像とのギャップが、今回はちょっと甚だしすぎやしないか。
詐欺を言い立てられても仕方なきレベルかと思われ。

映像含めた演出への疑問が噴出。

義清が清盛宅を訪問した際の、色めき立つ女たちを表現するSEが
バラエティ並みの安っぽさだったり、
終盤の、義清と清盛のやり取りシークエンスで、桜吹雪を
馬鹿馬鹿しいほど大量に降らせてみたり(どこの歌謡ショーかと)、

総じて品のなさが、前回よりさらに目立っていた感。

アバンでの、朝の光を室内に取り込むシーンは良かった他は、
軒並み低調、観るに耐えない劣化映像がこれでもかと続く。
この程度の画で美を語って恥じない神経のほうが、
義清の嘆き以上に深刻ではないのか、大丈夫なのか、
演出家のこんな滅茶苦茶な美醜センスに任せて。うう頭痛。

「醜いものを見たくない」のは義清だけにあらず。
根本的な美術プランの立て直しが必要なんでは。とりあえず
コーンスターチ使用を半分に(苦笑い)減らすとか。


水仙ネタで引っ張る引っ張る、
璋子と鳥羽上皇の、今となっては内心両想いのはずが、
哀しくすれ違う、最愛の人を傷つける言葉で、自分もそれ以上に傷ついてる
鳥羽っちの面倒くささがツボ。

璋子に狼藉を働いたのはお前だろうと、理路整然と義清を追い詰める頼長の告発を、
黙って聞きながら、目の前の義清本人をひたすら凝視する、
鳥羽院の憎悪(嫉妬)にゆらめく双眸の強さだけで、璋子への思いの深さが知れるのが
憎いぜ三上博史カーミット(似てないか)。
得子や堀河からどんなになじられ謗られようと、
そこには璋子を誰より愛する、彼なりの一貫した理由があったりするから、
(得子の生んだ子への無関心がどこからくるのかも、璋子のKY残酷発言が何故そこまで
耐え難かったのかも)困った純情ながら、何がしか惹きつける魅力が備わるのだ。

この二人、璋子と鳥羽院に下手に絡んで、
義清は無残に恋に敗れる「初の」おじゃま虫を演じ、
頼長も理不尽と常とする恋愛を、四角四面に裁こうとして、
骨折り損の馬鹿をみるのが、面白い。

◇潔く散る桜に美を、執着を手放せぬ人(の世)に醜を、見て取った義清の
妥協を許さぬ潔癖な感性には、23という歳相応の若気の至り、青臭さが潜んでいる。
俗世を離れ、世捨人として生きるとは、ようするに「人間やめます宣言」である。
不可能に挑戦する男。人でない桜になりたかった男。
なんかもう色々とめんどくさすぎる。
妻子持ったのが諸悪の根源。「桜桃を独り占め」の元祖がここに。


◇しかし大量のコーンスターチ責めに、花吹雪責めまで加わるとは、
役者イジメを疑われても仕方ありますまい。
花びらが口に入ってコブシがまわせません、もとい台詞しゃべれません、気が散ってかないません、とか現場から苦情出てないことを祈る!(苦情出てたら聞いてあげて)

◇予告の、ダダ泣きしてる松ケン清盛がただもう可愛い、ほっこりする、和む、口元が緩む、
いいなあ、いいんだよなあ。一服の清涼剤。





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