宿命の再会/平清盛(12)※辛口ご容赦


今週の大河ドラマ平清盛』が低視聴率を更新した、などと
鬼の首でも取ったように騒ぐマスコミにはうんざりだが、
その件とは別個に、個人の実感として、

ここのところの展開に対し、キャラの立つセリフ回しなど、細かなシーンごとのテクニックに
一定の巧さは認めても、同時にセリフだけで「それらしき雰囲気」を成立させてしまう、
脚本に頼り過ぎたバランスの悪さと(その当然の結果としての)内容の浅さには、
忸怩たる思いを抱くこと多々なのも、また事実ではあるのだ。

鳥羽上皇と璋子との、ねじれにねじれた末の相思相愛が、相手の死により悲恋に終わる結末も、
床に伏せる璋子の流行病が感染っては大変と、
従者二人に鳥羽院が扉の外へ強制的に連れだされた、まではいいとして、
何故に鍵がかけられたわけでもないのに、外から扉にもたれかかったり、激しく叩いたりする以外、
鳥羽院は璋子の今際の際から臨終に至るまで、ただメソメソ泣いてばかりいるのか。
さっぱり理解できない。

愛しい女の枕元に駆けつける気力も失せた、ただ悲劇ぶるだけの間抜け男では、
白けるのと滑稽なのとで、悪いが笑ってしまったことだ。
悲劇のように見せかけた実は喜劇、ということなら、十分その狙いは達成されていると思うが。

せめて扉の向こう側(つまり璋子の部屋側)から、屈強なる従者どもが
鳥羽院の、再び璋子に会おうとして、何とか扉をこじ開けようとする必死の抵抗を、
全力で拒む描写でもあれば、まだ良かった、ましだった。
最愛の女の死に際に、己の生命の無事を優先するような、情けない男に見えずに済んだかもしれない。
あるいはこれは演出の手腕の問題なのだろうか。

頼長登場の短いシーンで、白いオウムに「粛清!」と叫ばせたのも、コント並みのセンスでぶち壊しだったし。
果たして脚本のト書きに、最初からそれらの指示があったのかどうか。
まあどちらにしろ、馬鹿馬鹿しい安っぽさに変わりはないわけだが。

しかし家盛が初恋を諦めた経緯を、兄にペラペラ語るシーンは、
紛れもなく脚本の意図であり、この弟の信じられない口の軽さ(正直カッコ悪すぎ)には
唖然としたし、過剰な期待が明らかとなった時点で、がっくり気が抜けてしまった。

跡目争いに参入せず一途に兄を盛り立てる覚悟なら、家盛が己の初恋を諦めてまで
「家のために嫁取り」したのは、何のためだったのか。
こちらも鳥羽院同様、なんだか自分だけ悲劇を背負ったつもりでいい気になってる馬鹿者に
見えてしまうのを、一体どうしたものか。

このように不満は多々あれど、それでもなお、松ケン清盛を観たいがため、
毎回強く惹き込まずにおかない、あの魅力に富む表情を見逃すのが惜しくて、
今後も見続けるんだろうなと思う。

来週は清ちゃん主体で話進みそうだし。ちょっとそこに期待している。
時子へ強引にプロポーズした時のあの表情、あの言い様、思い出すだけでニヤついてくる。
あの独特の愛嬌は、松ケンにしか出せないんではないかな(特にファンというわけでもないんだが、
今回の清盛役があまりに魅力的で、毎回その一挙一動から目が離せないのだ)。






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