あなたの愛は生きています/カーネーション(151)最終回


だんじりの如く駆け抜けた本番組の、堂々たる大団円、
しかと見せてもらった。きっちり見届けた。
あっぱれ。お見事。お疲れさん。

泣いたり笑ったり感情の起伏がせわしないこと、この上なしなサービス精神も
最後まで変わりなくて好感。本作らしい気持ちよさ。

一週間分のまとめ放映みて、さらに深まる余韻に浸りつつ、最終話の感想など。


初っ端のだんじりの空撮、たとえ新撮でなく関連映像の流用であったとしても
(むろん新撮なら手間暇からしてスゴイことだが)、あれは適当に選んだわけじゃなく、
ちゃんと意味があったんだなと、本編中に挿まれたショットで気づいた。

「おはようございます、死にました」と糸子のあっけらかんと達観したナレが入る時の映像が、
おなじみの「青空にトンビ」で、悠々と空を横切っていくあの一羽が
糸子(の魂)だとしたら、つまりトンビが糸子の目線なら、
だんじりを空から見下ろすアングルで見せた理由にも合点がいく。

思い出の場所を気ままに彷徨するばかりか、木々の緑や水のせせらぎとも融け合う
糸子の自由な魂なら、空往くとんびの目線を借りるくらい簡単なことだろう、と
想像するだけで愉快、痛快、怪物くんである(さらっとスルー推奨)。

朝ドラとは思えぬ新しい試みに果敢にチャレンジしまくった本作。
最終話も盛り沢山だった。
たとえば、朝ドラに使いたいとTV局(固有名詞を発言しない「オキテ」を
自局番組にも適用するNHKの律儀と奥床しさにムズムズw)からもちかけられた話を
優子たち三姉妹が話している場面を、勝の浮気事件の時と同様、種明かし的に反復したり
(最初の時をモノクロにアレンジし再度繰り返して見せることで、ユーレイ糸子が
優子の背後に立ち、必死にやれやれ♪とけしかけてる図を引き立てる効果あり)、

他にも、朝ドラin朝ドラのメタ構成や、
初め(第一話)と終わり(最終話)が繋がる円環構造など、
スタッフの高いポテンシャルと豊富なアイディア、それを支えた確かな技術に、
ずいぶん楽しませて貰った。

毎朝が本当に楽しかった。毎回驚くべき濃縮の15分間だった。

『ふたりの糸子のうた』から椎名林檎のテーマ曲のOPへ。
第一話と全く同じ流れが、今度はエンディングになるというアイディアの勝利。
そして最初にタイトルが、次にサブタイトルのみのクレジットが、
時間差で画面に現れるという特別仕様にした丁寧な気配りが、
スタッフの作品に込めた愛情、愛着を窺わせて、これにも痺れた。
もちろん最後の「小原糸子/尾野真千子」のトリを飾ったクレジットの出し方にも。

だんじりが駆け抜ける衝撃で、家の中の家具や小物ががたがたと振動する描写、
これも初回を彷彿とさせる演出の一つで、地味に嬉しかったり。

源太とコウちゃんの組み合わせを筆頭に、大勢の人と人を置土産のように縁結びして、
しごく満足気に写真の中に収まっている糸子。
カラッと晴れやかな笑顔で、その場の全員を等しく包み込むように歓談する様を見ている。
何枚も上手、この人にはかなわない、泣き笑いで認めた娘たちの言に、うなづくばかり。

その娘たちを糸子@「死にました」さんが評して曰く、
引退なんぞさっぱり頭にありません。働いて、働いて、逞しゅうなる一方です。
さすが糸子の血を引く小原家の娘たち、めいめいがめいめいの「だんじり」の大工方で
あり続けるのだ、糸子の夢と憧れを引き継いで。
「女だてらに」ほとばしる情熱と意欲を思い切り社会に向けて発散しようとすると、
常に窮屈な因習の壁が立ちふさがった時代は、もはや遠いセピア色の昔となった。

糸子が晩年になればなるほどアグレッシブに、
「この歳になると」思い出はもういい、今とこれからが大事、と言い放っていたのも
過去(女性には)には許されなかった開放感や自由を満喫できる、
「今とこれから」のありがたさ尊さを、幼き日の失望や落胆の反動で、
人一倍実感していたからかもしれない。

辰巳琢郎院長のハマりすぎだろう!なワイン談義、
ジョニーとナナコのそこかい!と突っ込みたくなる落とし方(モデルがあの俳優夫婦だったとは)に、
まさかの吉沢さん再登場(!)のご祝儀までつくお祭りの賑わい、
さらに奈津(病院内でカーネーション初回放映を視聴している、車椅子の老婦人)らしき人を
後ろ姿でほのめかすサービスに、ミュージカル調の『ふたりの糸子のうた』アゲインで
朗らかに幕引きという、老いや死という重いテーマを扱っても、だからといって
ステレオタイプ的にジメジメ湿っぽい方向にはいかない、実に「らしい」展開だったと思う。

しかし、奈津も90過ぎていまだ存命、こないだ店を訪れた老婦人も糸子と同い年だとか話してたし、
なんだろうか、90歳代はもはや珍しくもない、女性はとりわけ元気!(←同意)と言いたいのかも。

老糸子編の後半は、怪我をきっかけに、いつしか朝ドラのファンとなり、やがて自身の人生が
希望通りに朝ドラ化されるという、朝ドラめぐるサクセスストーリー(この表現で合ってるのかわからんが)のようでもあり。

気になっていたあのシーンの「私が医療現場で皆さんにお話できることはただひとつ・・・」の言葉の先は、
視聴者の受け止め方、感じ方に委ねられている、ということか。
糸子の「ただひとつ」が何なのか、視聴者はすでに受け取っているのかもしれない。
意識しなくとも言葉にしなくとも。
あげんのはもらうよりずっと得や!が個人的にはお気に入り。
「与える喜び」をそう自分の言葉で表現した小原糸子は、これからも皆の胸の中で活き活きと咲き続ける、
しぶとく枯れない一輪の綺麗なカーネーションだ。



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