あなたの武蔵野は何処ですか/武蔵野夫人(1951)監督:溝口健二


冒頭と終盤の二度、ヒロイン(田中絹代)と連れの男が、武蔵野に建つ立派な実家のお屋敷の裏木戸をくぐり、庭を横切って縁側へ達する、という同じ流れを、俯瞰から横移動へ、対象にぴたりと吸いつくように追いかけるカメラワークで捉えている。

しかも連れの男は、冒頭では鼻持ちならない似非インテリ夫(森雅之)、終盤では心を通わせる復員兵の甥(片山明彦)、と相手は変わるのに、ヒロインもカメラワークも変わらない。

ヒロインは実家のお屋敷を守るための、いわば中継ぎの役目を負わされている。
それは亡くなる間際の父親が、娘にくれぐれもと頼んだ、遺言という名の呪縛だ。

父に呪いをかけられたヒロインは、最後は「家」を死守する唯一の方途としての自死を余儀なくされる(後にその判断の早計が明かされる皮肉)。

似非インテリ夫が、さかんにスタンダール(こればっかのワンパ)を紐解きながら、薄ら寒いまでに軽佻浮薄で気取り上がった講釈を得意げに口にすれば、

舌足らずな喋りと甲高いひ弱な声で、容貌にも考え方にもかなり幼さを残す学生の甥も、武蔵野の土地と自然をまるで理想郷のように崇め奉り、素朴な賞賛の言葉を連発してはヒロインの歓心を引こうとする(ウザ男に速攻認定)。

ヒロインにとって父親も含めた男とは、どうやら災難の種としかなりようがない存在らしいが、それは引いて眺めている外野にしか分からない。

父親に頼むと任された役目なのだから、放り出すなど論外。そう考える生真面目な彼女は自縄自縛に陥るしかない。

どこかで自身を人身御供の中継ぎと自覚するゆえ、せめて惨めな諦念に清い道徳の衣を着せることで、何とか誇りを保とうとして、また一層のドツボに落ちていく(ような印象を受ける)。

彼女の受けてきた仕打ちに、その死を以って周囲に反省を促す(或いは気づきを与える)ような結末は、二重の意味で後味が悪かったりするのだが、

武蔵野の鬱蒼たる木立や丈高い草に囲まれた水辺の風景、雲間から稲光が走り、やがて土砂降りの雨から嵐となる天候変化などの自然描写には、さすがに惹き込まれる。

水辺でヒロインと甥とが語らうシーンの、左へパンしながらの長回しも良かった。
(たまに名作映画を観る楽しみはここにこそあるのかも、映像的な満足度が段違いだから)





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