王道のようで王道じゃないのも戦略のうち?/梅ちゃん先生


今朝の朝ドラ放映前に閃いた直感が、偶々本日続けて放映されたカーネーション総集編を視聴して、
いよいよ確かなように思えてきた。

つまり本作は「最初から前作とは真逆の方向性を狙って作られている」、ということだ。

常にガチンコでぶつかり合う激しい人間関係や、人生をめぐる深遠な哲学的テーマとは無縁の
あっさりさっぱり、プラスほっこりな世界観に徹底してこだわる。
本作の作風はゆえに、決して適当に手抜きしたいい加減な作りというわけではない。

ただ前作のような、目標に向かって熱血スポ根で一直線に突っ走るタイプとは全く毛色の違う、別のアプローチで作られているだけのことだ。
そこをまず踏まえずして(前作基準の色眼鏡で)駄作と決めつけるのは早計であり偏見に過ぎるだろう。

ヒロインの梅子のあまりに振り切ったダメダメさ加減も、おそらくは前作の優れた才覚とカリスマ性を誇るスーパーヒロイン(というよりむしろ憧れのヒーロー的存在感をがっつり示す)糸子の真逆を設定したらああなった、という感じがしなくもない。
糸子が人並み以上に「出来る」子なら、梅子はこれまた人並み以下に「出来ない」子、なのである。

これは(真逆の方向性は)もうはっきり作り手の戦略と見ていいのではないか。
なにせ構想八年を費やすほどの渾身の力の入った前作である。
似たような方向性にしては、どう頑張っても二番煎じ止まりで、インパクトに著しく欠けるだろう、
だったらいっそ真逆で勝負、ということならなるほど考えたものだと思う。

熱血ど根性の切れ味鋭さに対して、ふにゃふにゃトホホ剣法を持ってくるかと。
意表を突くのも戦術のうち。
比較するのが馬鹿馬鹿しくなるほど違いすぎる両作ゆえ、むしろ違いを楽しもうとするポジテイブな意識も出てくる。

朝ドラではお約束(らしい)なテンプレ優等生ヒロインからすると、どちらもはみ出している点で、前作のみならず
今作にも異色という印象が拭えずにある(それを過去記事では「王道のようでどこかヘンだ」と書いた)。
ここまで駄目駄目ヒロインというのもまた型破りなんじゃなかろうかと。

たぶんヒロインがありがちな優等生タイプじゃないところが、本作に惹きつけられる理由の一つとして確実にあるはずだ。
あの思わず助けてあげなくては!と思わせる頼りない駄目っぷり。
本日放映分でも、梅ちゃん追試連発の厳しい現実に「そもそもどうしてこんなことに」と頭を悩ませるC班の乙女たち、わけを聞くうちそのあまりの駄目さ加減に、咄嗟に言葉に詰まり、深いため息漏らしつつも、みんなで梅ちゃんを落第させぬよう力を尽くそう!との結論に達する。
それへ皆のお荷物な自分を痛いほど自覚する本人が、ぼそぼそ慌てて「よろしくお願いします」と自らも助力を仰ぐ。

格好つけ命!な逞しい糸ちゃんの魅力とはまたぜんぜん違う、天然のトロさと素直さについつい手を差し伸べずにはいられない「愛されキャラ」の魅力が梅ちゃんにはあるのだ。

またお話の展開の面からも、前作のような目標に向かってガムシャラ一直線に突き進む、典型的スポ根な熱い筋立てとはこれもまるで違う、目標が定まっても一直線とはならず、時に遠回りしてみたり、横道に逸れたり、逸れたままフェードアウトしたり、と分かりやすくステップアップしていかない。

だが本来「リアル」とはそういう「取り留めのなさ」でもある。
普段の暮らしにそうそう刺激的な事件ばかり起こるわけもなく、大概はオチも結論もなく、何となく過ぎていく流れていく、それが日常であり実感伴う「リアル」だろう。

本作はこれからも、取り留めない日常の細々した事件をベースに、スタイルとしては「子どもの夏休みの絵日記」風のほのぼのした雰囲気と親しみやすさをキープしながら、
ふとしたシーンで人と人とが交わし合うやわらかい情感をさりげなく挿入する、というような人情に訴える作りで進行するんだろうし、
それでいいじゃないか面白いじゃないかと肯定的に受け止めている自分がいる。
ちなみに本日放映分(28話か)は始終笑いっぱなしだった。
やはり尾崎脚本のヘンな魅力は侮りがたし、であった。




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