「人のため」即「自分のため」/梅ちゃん先生


梅子の行動の動機は大抵の場合「人のため」だが、同時に「自分のため」にもなっている(本人はそのつもりじゃなくとも←計算して動くタイプではないので)のに今更ながら感慨深くしみじみ沁み入るのは、初めてライダー作品で涙するほど胸打たれた『オーズ』の登場人物アンクが最期に到達した境地を思い出すからだ。『カーネーション』の糸子も同様に。
しかも梅子は天然に「人のため」で動いてしまえるのだからこれも稀有な才能である。
未熟な今は相当に危なっかしく見えるが、反面、真面目一筋のガリ勉として描けば、辻褄は通っても地味で単調で面白みのあるエピにしにくい裏方の事情もあるだろう(細かい辻褄より面白さ優先でという)。

「人のため」と「自分のため」は両立する、いや分かちがたくワンセットが本来なのかもしれない。
誰かのために力を尽くす人の身体から表情から、生命の輝きがキラキラ溢れている印象が、311以降のニュースや特集番組等を通じ、より強くなった気がする。

生命とは本来は厳密に個別に区切れないのかもしれない。たまたま人として肉体を得て個人を名乗っているだけで。
すると「人のため」は取りも直さず「自分のため」になる、なりえる、
ジョン・ダンを引くまでもなく、個々の生命が個々に分断されず何かしら連続する感覚を残しているとしたら、見知らぬ他者(たとえばTVニュース経由で聞きかじる程度であれ)に対しても示される我々の同情や共感は、ごく自然な感情の表出ということになるのではないか、等々。

本日放映回でも梅子は、ダンスパーティを格別楽しみにしていた江美の落胆や、校舎のガラス窓予算のあてが外れて落ち込む弥生の気抜けた声に奮起、新たな会場候補に狙いを定めたあかねの働くキャバレーの支配人に直談判し、使わせて欲しいと頼み込むと、最初はすげなく断られたが、あかねの口添えが功を奏しOKという結果に。

それを「人のため(がっかりした友だちの笑顔が再び戻るのを期待して)」に動いた梅子もあかねも、我が事のように喜ぶわけで。
結局「自分のため」と厳密に線引きできない不思議な高揚感というか達成感といおうか、心が活き活きと躍動する感覚を、確かに満喫している二人がそこにはいるわけで。
四角四面に割り切れない自己と他者との曖昧な重なりが面白いなと思う。

そもそも梅子が医者になろうと思ったきっかけは、戦争孤児のヒロシ少年が彼女の背中を押してくれたから、だった。
そのヒロシも自分なんか生きていても仕方ない、誰にも必要とされない要らない人間だからと自己否定した時、梅子がつたないながらも全力で励ましたんだった。
亡くなった沢山の人達の分まで私たちは懸命に(生命に真摯に向きあって)生きなきゃ駄目だと、生きてさえいれば楽しいこともきっとあるよと。
そして生きる気力すらなくしかけたヒロシが今度は、優秀な父や兄姉との落差甚だしい「出来ない子」の劣等感を抱えた梅子に勇気を与える。
梅子の必死の励ましが建造の施した治療以上に効いたのだと。
俺を元気にしてくれたのはだから梅ちゃん先生なんだよと。

もちろん建造の治療あってヒロシの身体は快復した。ただ心と身体もまた分かちがたくワンセットなので、このエピでは心の快復も身体と同じくらい重要だと描きたかったのだろう。
あえて心の問題を取り上げたのは、今まで身体の治療に比べ軽視されてきた、或いは今もその傾向が根強くあるからではないか。

体も心も大切、その意味では医者に欠かせない適性の半分は、少なくとも梅子に備わっているということになるか「天性の才能」として。
これでせめて人並みに技術面が補完されることを祈る(←表現としてはこっちかと)のみ。

だがそうはいっても梅子さん、あかね(歌手デビューの件)や典子(再婚の件)の背中を押すことで、彼女らのその後の運命を変える一助となったりと、意外と「人のため」が空回りにならずそれなりに実績を残していたりする。

※ちなみに梅子が典子の再婚に関して、再試験を途中で抜けてまで首突っ込んだ(諦めてしまわないでと励ました)のは、結婚を申し入れた相手が親が持ちかけた見合いを断れずに帰郷する列車の発車時刻が迫っていて、試験を終えてからでは間に合わないかその可能性が濃厚だった、のも大きな一因としてあった。
(自分がヤバイ状況なのが頭からすっかり飛んで、衝動的に教室を飛び出したにしても ←頭ん中が典子の問題で占拠されてしまってる)

しかしこのヒロシ少年から繋がる(梅子、あかね、典子の)「自己否定からの脱却」の連鎖は何気に凄いかも。
駄目っ子パワーとでも言ったらいいのか。
人の可能性は無限とかいうが、あながち大袈裟でもないのかもしれん。
まさかの底力が人にはあるんだろう、常日頃は隠れているか見えないだけで、また本人自身が信じてないだけで。

ココロの問題が絡むと、いったい人を救うとは助けるとは何なのか、医療とは何なのか、少なくとも技術だけあればいいという話ではないのは分かる。
そんな難しげな、真正面から生真面目に取り組めば大感動物語に仕立て上げられそうなテーマを孕むくせに、あえて癖の強いライトコメディタッチの味付けで仕上げてしまう、一筋縄ではいかない作り手のひねくれっぷりが(まんまと釣られた自覚込みで)気に入っている。
これ順当にクソ真面目な調子でやられたら、かなり重くなりそうな気がするんで。






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