梅ちゃん先生の感想追記(その2)


梅ちゃん先生』は相応の実績ある書き手が実験的に取り組んだヘタウマの境地、と見なせば、
いちいち整合性無視に目くじら立てる必要もなくなるのだが。
ユル系脱力系な「どこもかしこもスカスカの隙だらけ」があらかじめ想定内だと理解できず
脊髄反射で食いつくのは、しょせんは野暮天止まりにしかならんだろう。
四角四面の生真面目な批判ほど笑いのめされる。その構造に気づけば面白がるか無視するかの
シンプルな選択肢しかないはず。
何時まで経っても気づかないならそれはもうご愁傷様だし、無駄なこと続けてお疲れさんと労うくらいしかないが。
(ただエンタメ精神あふれる小気味のいいツッコミの類だけが、読み手を「面白がらせる」余裕がある点で、
奇しくも作品の正当な評価として成立している気がする。たとえ突っ込む側がそこに無意識であっても)

からくりに気づくか否か、また、昨今のストーリー重視の風潮に背を向けた「くだらない」寄り道だらけな
散文的作りの過激さを受け止められるか否か、は観る側の嗜好と度量次第。
嫌ならどうぞ、お帰りはこちらと、丁重に退去を促されてんのに(←数々の破廉恥ネタ常識外しネタによってw)
辻褄や理屈や整合性や正論にこだわりいつまでも強情にゴネ続ける。
いっそそこまでの強い執着をもたらす内面の方に野次馬興味が沸くほどに。
反感生じる原因を突き詰めればどうもそこじゃないかという気がしてくる。
煎じ詰めれば自らの問題に行き当たるのではと。嫌なら観ない(離れる)、が一般の対処法だから。
ストレス発散の踏み台を手放せない、がせいぜい本音かもしれない。
それで梅子のダメダメさ加減を嗤うとは、いい度胸をしていると感心する。

頭から湯気出して怒り狂う「だけ」の愛着なき作品への攻撃を、常態的に繰り返すような
非生産活動に時間を割けるとは、よほどの暇人としか外野には映らない。
自己顕示欲のエゴを見ず知らずの他人にぶつける方が、よほど幼稚な所業だろう。
そういう自分の愚かさを見つめようとしないのは、人を自分の思い通りに動かしたい「傲慢」が根っこの問題にあるからじゃないのか。
公共の場の影響力を意識するのが真の大人。
パッと頭に浮かんだエゴを即そのまま垂れ流しなら、赤子だろうが動物だろうが簡単に出来ること。
そこをあえて制御するのが大人である。これだけは譲れないしそれをこそ知性の働きだと信じる。
(知性のあるなしに肩書きは関係ない、というか肩書きはいっそ勘違い鼻くそエゴを増長させる弊害となりうる、
これ本編の医者批判に直結する問題提起でもあるわけで、考えたもんだなと思う)


ところで前回うっかり書き落としていたが、先週から引き続きの大原拓演出が頼もしい。
先週分の、食堂の長方形テーブルを囲むC班の前で、雪子の事実を大袈裟に盛った法螺がバレるシーンの
滑らかなカメラワーク(寄りテクやカット割のタイミング等)が印象深く。
あと劇伴オンオフのコミカルな使い方や、解剖実習途中に突然の暗闇状態になってパニクる女学生の様子を
黒ベタ一色画面に字幕入れるマンガ風に大胆処理した手腕なども。

加えて以前に観たことのある、財前直見南野陽子がW主演した『フェイク』というNHKドラマにて、
辻野正人(メガレンジャーギンガマンリュウケンドーの監督)や末永創(ご存知カーネーションの演出家)と
肩を並べて三人で各話持ち回りローテだったのを後から知った。
公式によると年齢も若そう(20代くらいに見える)で意外。
それだけ将来を期待される若手の一人ということか。本日のカメラワークも的確かつ安定の巧さだった。







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