怪・人・放・送/仮面ライダーフォーゼ(35)

監督:渡辺勝也、脚本:長谷川圭一


来週(後半)への期待込みで手短ながら感想。

ついに出してきたか満を持してのJK話を、というのが第一印象。
とっつきは正直、JKを中学ん時も変わらぬいいヤツ路線で無理くり押し切るのかと、
醒めた見方だったんだが、終盤での、今と将来のどっちが大事かをめぐって
JKと弦太朗の対立構図が浮き彫りになった時点で、長谷川脚本のJK解釈がようやく見えてきて、
なんとか初期のキャラ設定へ繋げたいとする、作品と視聴者に対する誠実な姿勢が嬉しく。

JKがかつて他者を都合のいい道具として利用しまくり「友情なんて信じない」病をこじらせた根っこには、
夢半ばで挫折した父親のようになりたくない強迫観念があった、と長谷川脚本は理由づける。

JKの言い分を要約すると、自分だけ良ければのエゴの尤もらしい主張となる。
大切なのは今じゃなく未来だ。「今」(高校時代)の友達なんて「未来」の夢の役には立たない。
音楽やって有名になる夢(未来)を実現させるチャンスを掴むためなら、
友だち(今)を犠牲にしても仕方ない、ということらしい。

自分の利益のためなら友をも切り捨てる。弱肉強食の本能のままに生きれば確かにそうなる。
だが皆がおのれの利益ばかり主張し合うような、集団で維持する社会というものの
そもそもの成立条件を真っ向否定する、殺伐たる利己主義がまかり通ればどうなるか、
話はJK一人の問題に限らないのと、他者より自分が大事の考え方がエスカレートすると、いつか巡り巡って
他者に自分の身を滅ぼされかねない。
人間同士が互いに不信を抱き潰し合う弱肉強食が行き着く果ては、社会全体の衰弱であり、
社会が健全に維持できないと、自身の不利益にも繋がる。
つまりこのような近視眼的ものの見方や判断に頼ると、究極的には自分の不利益を招く結果を
呼び寄せることになる。人はひとりではなく社会の中で生きているわけだから。

また他者からの信頼を手酷く裏切ると、そのしっぺ返しはいずれ自分に帰ってくる、という以前の失敗を
JKが凝りずに再び繰り返そうとする描き方に、
表面上は「以前とはまるで変わったようでも」、
気持ちの芯の部分では「以前からの問題を継続的に抱えていた」JKの内面が窺えて、
悪くない展開のさせ方だと思った。
ここでもう一度JKにおのれの行動の是非を考えてもらう機会を設けたのは、
本作において必然ともいうべき大事なポイントだろうから。

弦太朗がしつこくリクエストしたという『友情岬』が、来週の山場を盛り上げる決め手となるのか。


渡辺演出にも少々言及を。

何を置いてもフォーゼへの変身シーン時に取り入れた画面分割のアイディアに拍手。
誰もやらなかったことをやった、そこがまず素晴らしい。
番組的に新しい試みを臆せず取り入れることが、全体を活性化させもするのだ。
やる気がすべて。画面からそれはちゃんと伝わるから。前のめりの迫力がみなぎっていた。

他のシーンやショットでも、今回は見事な牽引役を果たしていた渡辺演出。
画面のブレすらきちんと計算が行き届いているから、不快とまではならない。
そこは勢い重視でがーっと攻めるタイプ(苦笑)の坂本監督より巧みに処理して
「揺らし」で生じる効果を十全に(マイナス面を最小限に抑えて)引き出してた印象。

とりわけ夕陽射しこむ、他には誰もいない教室でのJKと弦太朗のやり取りシークエンスが良かった。
掃除の途中みたく机上に逆さにして置かれた(たぶん映像的にその方が絵になるから、だと察するが)
椅子の脚越しのパン(横移動)や、壁に背中を預け床に膝立てて座り込んで話す二人をズームインする
滑らかで詩情すら漂うカメラワークとか。
嬉しい力の入れように、来週はまたどんな新しい試みに遭遇するか楽しみだったり。

OP映像が部分的に変わってたような(ただし未確認)。







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