梅ちゃん先生/恋の後始末(55〜59)

一日早いまとめ感想な体裁だが
明日分は明日以降にでもフォローすれば構わないかと判断。
(明日の内容には「来週につながる引き」エピが挿入されそうな予感)

松子がひとつ大きな区切りをつけ、次なる段階へ進む契機となった今話だったが、そうか
今週のゲストキャラたる心中未遂をおこした弓子は、松子の知られざる葛藤を自ずと炙り出す
ある意味分身的な存在だったか、と見終わった後にしみじみ得心したことだ。

松子と弓子に共通するのは、知らず知らずのめり込みがちな異性への恋愛依存の傾向。
松子と真田の関係性の危うさは、弓子が「一方的に気に入った」松岡の
おのれの有り様が確固として揺るがないマイペースな態度に救いを感じ取り、
その資質を大げさに見定めた「依存心」と無縁ではなかった、ということなのだろう。

戦争による精神的後遺症を引きずり、破綻した生活で我が身を罰し続ける真田と、
婚約者の戦死という痛手からもその悲惨を見過ごせず、なにくれと世話を焼いてしまう松子も、
突き詰めれば共依存の関係であり、少なくともあのままではたとえ結ばれても、
いずれ破綻する憂き目だった気がしてならない。


見知らぬ行きずりの男と心中未遂をしでかすほど不安定な心境の
(自己の存在意義が激しく揺らいでいる最中の)弓子だからこそ、強烈とはいえ僅かな一時の印象を刻んだだけの松岡に、
過剰に憧れの念を抱くのだし、

そういう「過剰さ」に傾く大元は、将来を約束し合った許嫁を戦争で失ったことで、
未来に描いた幸福のビジョンが突如として無に帰したことの、
茫然自失だの焦りだの存在意義の確認だのを埋め合わせたい衝動からだと思われる。

とっとと「あの人のいた」空席を埋めて、幸せだったあの頃の自分から生き直したい、人生をやり直したいと切望させる不安、
どうせ私なんかという劣等意識に苛まれた挙句の、藁をも掴もうとするそれは
誰かに自身の運命を丸投げする受け身に徹した、ふわふわと足元の定まらない浮ついた、つまり
どこか投げやりですらある「希望」だった。


恋愛(異性)依存気味な弓子を、なんとか励まそうとして出してくる具体例が「松子姉さん」なのが梅子らしい。
梅子には松子の、というより将来を決定づけるインパクトある恋愛経験を我が身に刻んだ女子の本音が、
被った痛手の深さが、いまいち理解できておらず、ゆえに梅子にとって松子は今も変わらず、
何でも卒なくこなせて誰からも愛される、自慢のそして憧れの姉なのだ。

梅子は松子と同じ歳でなおかつ婚約者を戦争で亡くした身の上でも共通する弓子に、
自身の頼りない言葉より、松子姉さんの振る舞いを紹介するほうが、よほど弓子への励ましになるとして疑わない。
それで「でも松子姉さんは弱音を吐かず一生懸命に働いてます」というような言い方になる。

松岡にフラれた形となり、どうせ私なんか駄目、と落ち込む弓子への励ましを下支えするのは、
梅子が自身に感じる拭い難き劣等感だっただろう。
私なんか駄目だとうつむく後ろ向きの態度が、とても他人事とは思えず(鏡を見るようで)放っておけなかったのだろう。
「ちゃんと人に愛されたことがあるのに、自分を駄目だなんて否定したら、あなたを愛した人の気持ちまで
台無しにしちゃうんじゃないですか」

なけなしの破れかぶれの勇気で本音をぶつける。反発承知のお節介。欠点だらけ隙だらけ、まるで完璧とは程遠い
駄目っ子ヒロインの捨て身行為を、火の粉のかからない安全な場所から批判するのは容易く、
しかもよほど自らの完璧さへの自信が備わらないと身の程の知らずの空威張りに似た滑稽ですらある。
とまれ概して他者への要求度の高さは自己の幸福度に反比例する印象を漠然と抱くのだがどうだろう。

梅子のパーソナリティ形成の核となるのは、常に松竹梅の梅と揶揄されて育ってきた劣等感に他ならない。
どんなに励まし方が稚拙だろうと言い様が拙かろうと、彼女の励ましたいとする真心が本物であれば、
分かる人には分かるし伝わる人には伝わる。人の心を打つ&動かすその人の存在ごとぶつけてくるような真摯さなど、
小手先の礼儀だの空気読めだの、人を貶し嘲ることしか知らない、ちまちました上辺にこだわる小賢しい輩には
撒き餌でしかなかろうが(まんまと作り手の思惑にハマり話題性やら視聴率やらに貢献してるのも気づかないとは
どんだけ「ユルい」んだか、立場は逆だがなんかイライラしてくるサゲ戦略が杜撰すぎて)

話が逸れた。梅子の心情を補完する形のナレ担当が前作のように本人じゃないのも、
前作のラインを(ある意味)継承した、イイコちゃん路線を外れたはみ出し系ヒロインには辛いところか。
ヒロインは本音補完による言い訳が一切できないし、正蔵ナレはどうでもいいことしか言ってくれないし
(徹底した「のほほん効果」が狙い臭い)、もしこれがある程度の誤解やら齟齬やらまでも折り込み済みの
ひねくれた戦略なら、よほど肝の座った諧謔精神と感心する。

尾崎脚本は意外に梅子を一定の距離を置いて突き放して書いているように私には見えるのだが、それは
性別の異なる主役をあくまで観察者として見ている立場からくるものなのか。
前作のような自分語りナレによるフォローないから梅ちゃん可哀相な気もしてくる。
心の声という言い訳一切出来ないわけだから。正蔵ナレはのどかな効果音とさして変わらんし。苦笑

松子が真田と再会し、衝撃の近況(妻子あり)を聞いた後で、ショックを押し隠しながら笑顔で言った
「お汁粉、おごって下さい」の切ない女心に惹きつけられた。
遠い日の口約束なんて容易く反故になる。人の気持ちは変わるから。
ドラマ10「はつ恋」のファンタジーとはまるで違う苦いリアリティ、だが普通の人を描くならこちらだろうと思う。
偶然とか環境がもたらす人の生きる道筋。
でも松子は「あの時の」真田の言葉の端々から窺える「一緒に来て欲しい」熱意に乗れなかった、踏ん切れなかった、
だがその選択は正しかったんじゃなかろうか。
共依存的恋愛は長続きしない(どちらかに無理がくるだろう、必ず両者のバランスが崩れ、片方の負担が
負えなくなるだろう)と思うから。
もし将来また再び出会う機会があり、その時にまだ縁が続いていればあるいは、とは思うけれど。


松岡は梅子が気になって仕方ないのだな出会いの最初から。初対面での凝視凄かったし。笑
便所はどこですかとわざわざ梅子が居残りでノート取ってる教室まで聞きに訪れて、言うに事欠いて
便所行くの忘れたとか、お前は小学生かと突っ込みたくなる、脱力誘われるほど子供じみたちょっかいの掛け方ではある。
スペシャリストを目指す男子が概ねあんなんだったら「お守り」が厄介で困るだろう女子も。

てか尾崎脚本には、松岡を自分になぞらえて、ホリキタ梅子に「将来のことをどう考えてますか、結婚とか」なんぞと
うれしげに言わせる「下心」に激しく突っ込みたくなった。唐突にもほどがあろう。
梅子に「結婚」という言葉を言わせてまで、我が身を重ねる松岡に「したいんですか、僕と?」と
言わせたい欲望が見え見えで、恥ずかしいこちらが(先読みしてしまって)。
結婚できない男の阿部ちゃん再びか。あのオタク臭濃い阿部ちゃんは振り返ると何故か女にモテモテ展開で
書き手の自己陶酔臭が今思えば厳しかったが。
ホリキタ使ってドリーム小説まがいのシチュ。まネタとして面白いからいいけど。
(最初に「結婚」という言葉が出てくるのが不自然と言われても仕方ない気がする、現に不自然だしw)

弓子が松岡に手術立ち会いを許したのは、男に依存しないと私のような駄目な女は生きていけない的な
強迫観念に苛まれる迷いが吹っ切れたと受け取っていいのかな。
加えて恥ずかしいから拒否→自分のため、が今後の参考にしてもらえば→人のため、に変化している件。
そら清々しく温かな心地にもなろうというもの。


なんだか長くなったので、松岡&梅子の関係も含めた感想は週の最終たる明日以降に。







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