LUPIN the Third 〜峰不二子という女〜(11)/愚か者の祭・再び

オスカーの性別が男女どちらなのか気になるのは、下世話な詮索を好むわけでも
BL好きだからでもなく(残念ながらそちらのシュミはない)、
本アニメが「女とはなんぞや」的展開や構成の匂わせ方を、意図的か場当たり的かは知らないが、
言外にさせているからに他ならない。

どうもいまいちモヤモヤするので再度引っかかる点を確認しておくと、

オスカーの不二子に対する認識→ 
目的(金銭的価値の充足)のためなら簡単に男の欲望を受け入れる
唾棄すべき卑しい痰壺(よりベタな表現だと公衆便所)女

不二子の全身タトゥー女に対する認識→ 
人権を剥奪され「不特定多数の好奇と好色に晒され続ける宿命を
男のエゴにより強制された」惨めなまでに無害な愛玩動物

オスカーは不二子を忌み嫌い、不二子はタトゥー女を忌み嫌った。
どちらも相手をこの世から抹殺したいほどの激烈さで。

どちらの感情の根底にも、かつて社会が男権優勢で機能していた時代に
「規範とすべきロールモデル」として女に当然のように求められた
「陳腐なまでに通り一遍の使い古された」理想像
(男の欲望をかなえる外見と内面を備えること=女の完成形)への侮蔑と反発が感じられる。
そこに引っかかるのは、もちろんオスカーが男という設定だからだ。

そもそも警部である銭形が盗みの常習犯たる不二子に好意を持っている、と彼が勘違いする流れに
無理矢理持っていった強引さから、すでに引っかかりを覚えるのだが、

脳内妄想なのか何なのか、ラストで夜空を飛翔するオスカーがウェディングドレス姿なのが
彼の内心の「女になりたかった願望」の表れだとして、それを裏付ける台詞やエピが
そうと分かるように抜かりなく配置されていたか、大いに疑わしい。

少なくとも私には唐突な変心に思えた。
つまりはキャラが徹底的に無意味化した&決定的に破綻した、である。

その段取りの致命的拙さはひとまず置いても、オスカーを「女に憧れる男」にする必要性が
残り二話で解明されて欲しい、いや解明する責任があるというべきか。

何話だったか、女子高舞台の百合回にしろ、結局はオスカーの銭形に対する
(個人的には臭い芝居がかった内面吐露の激しさにえらくドン引きした)恋慕の情と、
不二子へのこちらも激しい憎悪(どっちも過剰さが異常レベル)を主として書きたかったと見ている。
むしろ百合はBL展開の「隠れ蓑」だったかもしれない。


オスカーから連想する似たような記号キャラに、そういえば第4話のオペラ座の怪人もどき回の
人気プリマドンナがいた。
恋人の大道具の男と結ばれるため、わざわざ顔を劇薬で(だったかな)醜くただれさせ、
オペラ座地下のカタコンベで仲良く暮らす、という話がどれほど絶望的にくだらないかは、
別に駆け落ちして国外ででも暮らせばいい流れを、あくまで元ネタちらつかせたい欲求から
(ここでも)何の説得力のないまま無理やり意味不明な方向へねじ込んでしまう強引さにも増して、
女というものの行動原理をまったく無視した展開に集約される。

「一緒に暮らしたい」を叶える選択肢が他にも(前述の駆け落ちで国外逃亡など)残されている中、
いったいどこの女が、進んで自らの美しい顔をわざわざ醜くただれさせようとするだろう。
正常な判断でないことだけは確かではなかろうか。
あのような適当かつ即席でこしらえたキャラ未満のお粗末極まりないシロモノに付き合わされる視聴者は
アニメを甘く見るなとちゃんと怒らなければ駄目だと思う。
脚本のなあなあの甘えを、狭い村意識の傲慢からくる油断を、心を鬼にしてでも指摘しなければ嘘だと思う。

オペラと称しながらアリアの合間に台詞を喋るなど、あまりのお粗末レベルになんという人の脚本か
名前を確認したら、今回と同じ担当者だった。しかもシリーズ構成も兼ねる人物だった。
これは「まさか」なのか「やはり」なのか。判明するのは最終話を見終わった時点になるのか。


ふと考えたこと。
オスカーが本作で(これまた内面描写の力及ばずで)不自然としか思えない自決を遂げたのは、
自らの「本来」を虚しくしてまで、男の好みの型に無理くり自分をはめ込もうとする
(あなた好みの女になりたい的な)ステロタイプに陥ったせいかもしれない。
死ななければならなかった、つまり1フランに象徴される、なけなしの誇りすら手放した彼の狂気は
「女たちから」否定されなければならなかった、そういうことかもしれない。
何にしても力任せになぎ倒すかのような突飛な強引展開、との印象は変わらんのだけど。





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