平清盛(24)/清盛の大一番

放映開始当初に抱いていた、次を楽しみに待つ期待値を
久々思い起こさせる高い完成度だった今回。

今回のどこが良かったか。今までと何が違ったか。
煎じ詰めれば主役の復権、これに尽きる。

「濃い脇キャラの引き立て役」なんぞではない、ちゃんと主役の光るキメ場面、キメ台詞が
要所要所に押さえられた、作品タイトルを裏切らない構成&展開だったこと。

シンプルなこの「主役を主役らしく生かす」お約束だけでも遵守していれば、
ここまで視聴者離れを危惧される、厳しい事態には至らなかったのではないか。

作品にとって主役というのは、かつて父忠盛が清盛に諭した、例の「身体の中心を通る軸」のような存在だから、
その主役が長らく脇に食われるような本末転倒を放置していて、
何より大事な軸がブレ続けている状態で、
それでも視聴者の支持は集まると漠然と期待する方が甘いと思う。

脚本家の脇キャラへ妙に肩入れしたがる癖のせいで、展開に無理が加わり
説得力に著しく欠けるエピが度々あった。

一例を上げるなら家盛。家格の低い相手(明子)を娶った清盛を、跡継ぎの自覚に欠けると見做したからこそ、
自分は初恋の人を諦めてまで父のすすめる良縁を受けた、ならその意味するところは
平氏一門を率いる次期後継者争いに参戦する気満々」以外ないんだが、何故かそうならない、
つまり「決意の行動」に、結果として何の意味も目的も伴わない、という盛大な肩すかしに見舞われる。

これが、縁談は母のたっての希望、とすれば、まだわかり易かった。
嫡子の立場で一門の繁栄に結びつかない婚姻をする清盛に、では家盛にも家督相続のチャンスは
あるかと読んだ宗子(=池禅尼)が、家盛には家格の釣り合う相手との婚姻を熱望し、
ザコン家盛は母に押し切られた形で承諾したものの、兄に「跡目狙いの意思表明」と受け取られて
(まあそう受け取られて当然な気もするが)これまでの良好な関係にヒビが入るのではないか、と気にしている、
母と兄との板挟み状態に苦しむ優しい(言葉をかえれば優柔不断な)家盛、という風に書けば、
本編の展開よりはスムースにつながったと思うのだが。

同様に、前回もちらと書いた異様に持ち上げ過ぎな忠正だの、いまや詠唱専門の賑やかし要員な西行だの、
脚本家が脇キャラに肩入れするたび、さして面白くもない横道に重心が逸れ、結果的に
脇キャラを輝かせるために主役がいるかのような、ありえない転倒が起きてしまう。

個人的には低迷原因の最たるものは主役を主役らしく描くのに全力を注がなかった
(あれもこれもと脇キャラに寄り道ばかりする欲深が、中心を欠く散漫さとなって裏目に出た)
脚本にあると見ている。
劇中で主役が引き立たないと(脇の方が目立つなんて転倒現象が起きると)、視聴者はどこに視点を
置けばいいのかわからなくなる。物語への取っ掛かりが得にくくなる。
しかしそれを作り手は何ヶ月も視聴者に強いてきた。
主役のオーラをわざわざ殺した(中心を欠いた)=視点のブレた不完全商品を提示し続けた。
それで脱落者を責めるのはお門違いだろう。

しかし今回は信西と清盛が結託し「世直しをする/武士の世をつくる」互いの目標を今一度確認しあい、
その実現を目指して具体的行動を起こすという明快さが、初期の頃の展開を彷彿とさせ、
あの清々しい興奮と力強さがそっくり戻ってきたように感じた。
これで貴族の仕掛ける理不尽に「今に見ろ」とひたすら耐え忍ぶ「冬の時代」の清盛を、もっと魅力的に
描けていたらどんなにか、と思わずにはいられないが、もはや終わったことは言うまい。

上記の信西のみならず、狂気と懈怠に子供のような無垢が加わった気まぐれが、清盛という格好の遊び相手を得て
さらに活き活きと加速しそうな後白河にしろ
父為義斬首の命に泣く泣く従えど報われず、評判も落として踏んだり蹴ったりな義朝にしろ

理想実現のため邁進する清盛を、彼らがいかに輝かせ引き立たせてくれるかが鍵だろうと思う。
作品の軸となるのはあくまで主役の松ケン清盛だという、この一点がブレなければ、そして
今回の完成度を今後もコンスタントに維持できるなら、たとえ時間はかかっても、
視聴率が上向かないわけがないと確信する。
主役はカタルシスをもたらす大事な役どころ。疎かにしなければ大丈夫。
この調子で順調にいけば、必ずや持ち直すと期待している。
これが挽回の兆し、復調に向かうターニングポイントになればいいなと思う。頑張って欲しい。





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