共有したい思いにまで違法の罪を着せるのは酷だろう

昨日今日のニュースによると
著作権法改正による違法ダウンロードへの刑事罰適用が10月(だった訂正)いっぴから施行されるんだそうだが、
たまに思い出したように動画サイト利用して音楽楽しむ程度の人間にすらも、
ちょっと罰則のかけ方が大雑把すぎてかなり危うい結果を招きそうな嫌な予感を抱かせる。

著作権を有する個人や団体や業界保護のためとはいえ、荒療治措置がもたらすマイナス面
(却って客離れを加速させ収益落ちるとか)の可能性を無視するかのような強硬姿勢で
客およびその予備軍たる対象全般を、購入の有無および額の多少で露骨に選別し差別し、
意に沿わぬ対象者は未来の客=購入予備軍であろうと、害虫のように敵視し切り捨ててしまうような態度は
経営哲学としても戦略としても如何なものか。
どう見ても現状よりいい結果をもたらすとは思えないんだが。

このニュースの何が人をして不快にさせるのかというと、おそらく売る側(提供する側)の客への不信感が
如実に反映されている点にあるかと思う。
法規制に訴えて圧力をかけるより、アップロードされた音楽自体を強制的に販売CDよりクオリティを落とすとか、
フルでは聴けない(途中ノイズが入るとか数秒カットされるとかの)本来の完全形でない仕様に
強制変換する方向で、あくまで客との関係をギクシャクさせず、それでいて売り手の窮状への理解を
さりげに求める、というような穏便に対処する方法は、その選択肢は、本当になかったんだろうか。

たまに訪れる動画サイトで突発的に聴きたくなったお目当ての音楽に巡り会えると嬉しく、
さらに聴いたことをきっかけにCD購入に至るパターンは結構あるんだがな私の場合。
基本的に公共の場にアップされたものは皆の共有物、個人所有はできない代わりそこに行けば
誰でもいつでも楽しめる、ただし持ち出し(DL)は不可、DLすれば強制的に音質(画質)劣化や一部カットされる仕組み、
というのが理想なんだが、せめて実現への試行錯誤をやった上での「不可能」なら納得も出来ようものを。
動画サイトで熱い賞賛コメントなんぞに頷きながら、好きな音楽を共有する楽しみは独特で
いい気晴らしにもなるというのに。

楽曲への愛から沢山の人に聴いてもらうことで、ファンを増やそうとか知名度をあげようとか一緒に楽しみたいとか、
そういう素朴な善意からアップしてる人まで含めて、一律に犯罪者であるかのように罵れる人間の方が
よほど信用ならない。
「悪」ということなら、由々しきことと常識人ぶって罵りながら、ちゃっかり利用している二枚舌の
けちくさい小狡さには遠く及ばない。

違法DLには反対、かつ共有目的で楽曲動画アップする人を行為を悪と断じるのには非常に抵抗を覚える。
(ちなみに私自身にアップした経験はないので自己弁護ではない)
押さえるべきは、動画サイト自体の機能にどう商品(CD)との差別化を施すか、のシステムの問題であって、
個人が発信する素朴な共有精神をもひっくるめて否定するのは、物事を単純化した悪しき解決策でしかないように思う。
人の共有したいという思いの純粋素朴なカタチを、どういう適切な落としどころがあるかまだ分からないが
無下にしない方法が何かきっとあるんじゃないかと今より真剣に親身に模索したっていい、
ただ悪い悪いとゴリ押しで圧力かけるより、そっちを検討する方向に世論が盛り上がらないものかと、
密かに期待してるんだが。




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