特撮ヒーロー関連つぶやきまとめ(2011/8)


過去tweetより特撮hero関連のみ抜粋、の八月分。


2011年08月01日(月)

オーズ #44 の感想をざっと見回しても柴崎貴行監督への言及の少なさに驚愕と落胆を同時に覚え、
特撮分野の認知の遅れを嘆かずにはいられないのだが、今週の人物のバストショットに焦点を
絞ったかに見える演出の卓越が認知されないのは如何にも勿体無く、

作り手の仕事ぶりが報われないと次に繋がる意欲の減退を招きそうで、それは困る!と
途端に落ち着かない心持ちになる。

オーズ2。バストショットといえば先々月の群像に掲載された(ただ私的には先日読んだばかりの)
蓮實青山対談を想起せずにはおかず、もしや柴崎監督は同対談を踏まえバストショットで人物をどっしりと
シンプルにフレームの核心に捉まえたのではないか、と裏読みしたくなる。

オーズ3。だが裏読み云々は脇に置いても、今後も今以上の伸び代を確信させるに十分な嬉しい44話の
演出を踏まえ、何か応援の一声を掛けたいのだった。力の入った映像の本気度を、心弾む楽しさを、
ちゃんと受け止めたから、大丈夫だから!と。



2011年08月02日(火)

オーズ続き。バストショットの多用は「人物の表情がその内実を雄弁に語る」を熟知した上での構図の
判断と確信するし、ドラマをどう最大効果を狙って映像を設計構築するかの一環であるなら、演出の内に
含まれると思ってる。

オーズ続きの続き。映司くんといい比奈ちゃんといい、澄んだ透明な内実が表情に如実に現れているのを、
カメラもまた逃さず捉えていて、そのことと件の対談のタイトル(「混沌」から「透明」へ)は
無関係ではないと感じている、非常に面白く。

件の対談中、透明さとか不自然さとか語られているものこそ私が求める特撮ヒーロー作品の理想形のように感じる、
またそこでマキノ雅弘の名が連呼される嬉しさは格別、我が意を得たりの感覚、また「フィクション」で括り
全てをフラット化する試みは、現時点なら「ピングドラム」が筆頭に挙がるかも。

再びオーズ話に戻り。興味深いのが不自然なショットが一箇所あり、斜面を細い山道まで転がり落ちてきた
オーズ含む三人を捉えた次のショットで、なぜかバース含む三人が唐突に同じ場所の前景に既にいて、
何事もなくバトル展開してるのだが、

あまりに途中抜けてる感が露骨なのが、むしろ作為的な違和感の挿入だったかと思えなくもない。

鴻上ビルのメダル関連を秘蔵した地下室から真木邸への、場面転換の雑っぽい唐突な繋ぎも同様に。

44話全体のバランス的にどこかで力の緩め具合を感じさせる(無造作を装う)箇所が必要だったのかとか
察してみたり。



2011年08月28日(日)

オーズ。最高の最終話だった。初めてじゃないか、仮面ライダー観てる最中(困ったことに)涙なんて出てきたの。
思い出してもまた泣けてくる。落ち着いてからまた呟こう、ああ、でも本当に!いい締めくくり方だったなあ。

未だあれこれ思いが先行し、文字にし難いオーズ。まともな感想は後日に延びそう。せめてSAの話題など。
個人的には伊達バース演じたのは押川SAなのかな?と思うが真相は如何に。
スタッフロールでの高岩=オーズ&永徳=バースの表記には胸熱。ウル目抑えられず。

SA話はゴーカイも。竹内グリーンと蜂須賀イエロー、互いのキャラへのなりきりが見もの。
とりわけ蜂須賀ハカセ(とでも言ったらいいのか)の動きには目が釘付け。「あの」竹内SAが
今回ばかりは霞んで見えたほど。さすがベテラン女形、演技の幅がハンパなかった。脱帽。

これはもう必ずや後から、リモコンでスロー&一時停止を駆使しつつ、もう一度(といわず二度でも三度でも)
観なくては。

オーズ。気軽に感想が書きづらいのは、単刀直入に言ってしまえば、W(ダブル)の頃から折にふれては
願ってきた(感想等に綴ってきた)仮面ライダーの理念の部分に関して、これほど理想に近い描き方が
過去なかったから。同時にむしろ自分にそれほど強い思い入れが

あったのかとの驚きもあったり。戦隊とかと違い、ライダーばかりは、理念抜きに考えられない素材として
受け止めているところが、多分あるんだろうなあ。

ついでに呟きそびれてた、先週分のゴーカイSA話。福沢レッドを肩車してぐるぐる回ってたハリケンレッドは
今井SAっぽく、また分身の術のハリケンイエローの本体は大藤SAっぽく見えたが、どうなんだろう。
ブルーを除き一人のSA固定じゃなかった

(背格好や体型が場面ごとに違ったりした)ようで、余計に見分けるのが難しくて。真相が熱烈に知りたい知りたい!

先週のゴーカイ続き。そして言わずもがな、岡元バリゾーグの格好良さは不動。
久々の活躍に頬が緩みっぱなし。で。本音はもっと出番(アクション!)増やして欲しいなーという。



2011年08月29日(月)

オーズ終盤〜ラストのなにが琴線に触れたかを考えると、Wのフィリップ的役割を担う(ヒーローの相棒にして
人ならざる異形の)アンクを、ありがちなお涙頂戴の自己犠牲には描かなかったこと、そして主役たる映司にも
ヒーローの悲劇を代償に丸く収まる結末を封印したこと、の

徹底した信念に基づく、これまでになかった切り口の斬新さ、に行き着く。

反面オーズに登場するアイテムやキャラの背景や設定に関しては、個人的にあまり魅力を感じられず、
メダル、グリード、鴻上会長、Dr真木、比奈、など奥行きの薄さ貧弱さが常々気になっていた。しかし
最終話のインパクトは圧倒的で、諸々の弱点に見えた懸念材料を、あっさり吹き飛ばしてしまったのだ。

オーズで注目すべきは「ネガからポジへの鮮やかな反転」だろう。
欲望のキーワード然り、「メダルのお化け」アンクの(パッと見は)自己犠牲な結末然り。
既成概念によるネガティブなイメージを、小林脚本は鮮やかにポジティブなものへと転換してみせる。

たとえば欲望は命そのもの、日々を生き抜くパワーの源であり、消滅を選ぶアンクはひととき命の実感を得て
「得をした」と満足を口にする。

従来の誰か特定の人物の「悲痛な犠牲」で(その損失を代償に)他の大勢が助かる(得をする)、という展開は、
ここにきて高らかに否定される。過去の特撮ヒーロー作品が築いてきたお約束の型を、大胆に反転してみせた点に
最大の意義がある。

ゆえにオーズに電王の変革のキセキ再び、とばかり高揚した心持ちになるのも無理からぬことで、念願の
ブレイクスルーを目撃して嬉しくならないわけがないのだ。

オーズ。ネガからポジへの鮮やかな反転、手垢のついた既存の認識(ヒーローの自己犠牲)を劇的に
ひっくりかえす逆転の発想は(特撮ヒーローものの可能性を広げた意味で)他に類をみない功績と思う。
実に爽快。惜しみない拍手を送りたい。


東映Chにて目下ダイレンに続き放映中のクウガ。先日分epi25&26は五代のかつての恩師が受け持つ
生徒のお悩み相談的な内容。記憶の中の良き先生の典型像が再現されるようで、くすぐったくも懐かしい感触、
でも嫌いじゃない。当時の苦手意識まで甦るのは、多少きまりが悪くはあるけれど。苦笑

クウガ(2)。しかし石田監督×荒川脚本のコラボは安定して高クオリティな印象。このエピでの
画面を青一色に統一する見せ方は、次のアギトでも青とか緑で引き継いでいた覚えあり。
この時期とくに凝ってた手法なのかも。

クウガ(3)。五代が少年にならって神社の石段に腰掛ける際、わざわざ一段低いところに座り直すという
石田演出が効いている。少年と目線の高さを揃えるさりげない気遣いが、台詞でなく何気ない動作一つで
伝わるのがいい。映像にゆったりと余白がある、瑞々しい情緒があるのも石田監督ならでは。


まだ引っ張るか!なゴーカイ、ハリケンSAの件。あるいはファイナルウェーブの時のハリケンレッドなのか、
とも思ったり>大藤SA(←えこ贔屓)。心持ち顎を引いた頭部の角度が「らしい」気もする。でも肝心の(です!)
脚がね、なーんかピンとこないのだった、むむう

ちらっと見えた程度で判断するのは難しい、でもそれでも知りたい、を悲しくループ。









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